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2008年2月 5日 (火)

中世の森

中世の 森避けし人 招くのは
 一致目指して 森入りし人

関西学院大学神学部の松村克己教授は印具徹氏を関西学院神学部に招いた(『ただ、ひとすじに 《告白》賛美録』印具徹著、キリスト新聞社、173-4頁)。
松村氏は中世の森を避けた人だが、それは恩師波多野精一氏の助言によるものであった。
-方、印具氏は中世の森の中に入っていった。それは恩師・橋本鑑氏の助言によるものであった。ルターを知るには中世を知らねばダメというものだった。その思いは松村氏の師の師、ケーベルが中世哲学研究の必要を語っていた時に指摘したものだった。第二バチカンよりもずっと前のことだあった。
印具氏の業績は第二バチカンのエキュメニズム路線の中で覚えられていくであろう。

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コメント

『ただ、ひとすじに 《告白》賛美録』には、著者のモットーとしてダンテの言葉が記されている。「汝の道を行け、しかして、人々をしてその言うに任せよ」(1頁)。カトリックとプロテスタントとの間を、「カトリックとかプロテスタントとか言うことを超えて歩み続けた」(2頁)著者には、あるいは毀誉褒貶があったかも知れない。そんなことを思っている時、幕末の偉才、勝海舟を思った。彼に関する本を読んでいた時にも、行為は我にあり、毀誉は他人のこと、といったような言葉を読んだ覚えがある。彼もまた自らの信ずる道を、周囲の誤解にもかかわらず、真一文字に突き進んだのであろう。あるいは環境的には、印具氏の置かれた場は、勝の置かれた場と類似しているものがあるかも知れない。しかし、エキュメニズムの彼方に何が見えるのだろうか。それが見えれば、現在の行動を方向づけることもできるであろうに。

投稿: | 2008年2月 5日 (火) 19時18分

勝海舟の言葉というのは「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず」(行いは自分、批評は他人がする)というもの。この言葉が語られた事情は、福沢諭吉が『やせ我慢の説』を書いて、「二君に仕えた幕臣」の典型として勝海舟と、榎本武揚を挙げ、本を二人に贈ると共に、感想を求めた時のことである。榎本は丁寧に答えたが、勝は、この言葉「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与らず」を呟いたという(PHP文庫『勝海舟の人生訓』童門冬二著、15頁)

投稿: | 2008年2月 8日 (金) 21時28分

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