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2008年3月 7日 (金)

トレーシー

デイビッド・トレーシーという人物がいる。以下、引用は、すべて、『現代神学の最前線』(栗林輝夫著、新教出版社)による。

彼は「現代カトリック神学のリベラルにおける最先端の知性を担うひとり」「彼は当初からカール・ラーナーの超越的トミズム、そして師であり同僚でもあるバーナード・ロナガンを手掛かりに、カトリック神学の現代化に意欲を燃やしてきた。そしてその課題をガダマーやリクールの解釈学、さらに最近ではポスト構造主義やポストモダン理論の受容によって成し遂げようと試みる」(206頁)という。

彼の神学流儀は対話であるともいう。「それは独善主義を排して、対話者を相互に認めあい、批判しあって統合の道を探る批判的多元主義のことと言えばいいだろうか」(206頁)との説明がある。その結果、「万有在神論(panentheism)」に行き着いたという。

実は、私は、その「万有在神論(panentheism)」という言葉に興味が引かれた。この言葉は、日本語では、それまで、「汎在神論」という言葉で紹介されてきたのではないだろうか。井上神父が使われていた。

この万有在神論について、こんな説明がされている。

「ほぼプロセス神学的な概念」「神は超越すると共にラディカルに世界に内在する。神の超越性とその受肉という内在性、その双方を正しく解釈した神概念こそ、実にキリスト教が歴史的に告白してきた「真ノ神ニシテ、真ノ人」の信条なのだ」(206,207頁)

その神は「内在と超越の弁証法的様態の中に顕われる」(205頁)とも言われる。このあたりは、西田哲学をキリスト教的に読んでいる、小野寺功氏の表現にも近いものを感じる。

もし、トレーシーが、もっと紹介されれば、日本の中でも、関心を持つ人が増えるかも知れない。宗教の神学や宗教間対話に共鳴する人には示唆があるらしく、日本のキリスト教界では知られていないが、仏教学者は、しばしば、その名を言及しているともいう。

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コメント

汎在神論と万有在神論とは同じ意味の言葉である。

「武藤一雄氏はマールブランシュの思想を、汎神論でもなく有神論でもない「万有在神論(Panentheismus--これは別名「汎在神論」とも呼ばれる)」であるとする」(『ウェスレーの救済論』清水光雄著、教文館、61頁)

投稿: | 2008年3月13日 (木) 19時20分

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