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2008年3月 6日 (木)

現代神学

『現代神学の最前線 「バルト以後」の半世紀を読む』(栗林輝夫著、新教出版社)という本がある。なかなか面白かった。知らないことがたくさん書かれていた。ということは、現代神学に関する本が余り邦訳されていないということなのだろうか。

この本は特に米国の現代の神学の潮流を紹介している。多様な人たちが、多様な切り口から神学している。その著書を発表している。そのような問題意識が紹介されれば、日本の教会の関心もまた高まるかも知れない。神学の巨匠たちの本は、今も書店にならぶ。それを学ぶのが神学という理解が、まだあるのかも知れない。しかし、自分で神学を作ろうという意識は、その中では、どれくらい生まれるのだろうか。

この本を読むと、たとえ巨匠たちには比較できなくとも、自分たちの神学を持とうとしている人たちがたくさんいることに、神学徒は勇気づけられるのではないだろうか。そして、そんな切り口が紹介されれば、自分の選択の中で、その道を進んでみようという人も起きるかも知れない。その時、やはり日本とかアジアというものを、どう見ていくか、それがなければ前進しないだろうけれど。

現代神学は、日本では、まだまだ未知の領域かも知れないと思った。考えてみれば、不思議なことではある。人材不足とは言いたくないが、著者は、その意味では貴重な存在といえると思う。

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コメント

『現代神学の最前線』の40頁には、こうある。

「ボンヘッファーが獄中で出会った「善意の人々」は「意識せざるキリスト者」の概念になり、それが戦後になってカール・ラーナーの「匿名的キリスト教」の基礎ともなった」

「匿名的キリスト教」の考え方が、ボンヘッファー、それも獄中のボンヘッファーにつながるのだとは、初めて知った。

投稿: | 2008年3月 6日 (木) 13時58分

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