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2008年3月 4日 (火)

宗教多元主義の課題

多元主義 神中心の 類型で
 信の内には 課題を感ず

第二バチカン以降、救いの理解に関して、カトリックの大きな流れは排他主義から包括主義に移行したといわれる。「無名のキリスト者」というカール・ラーナーの立場が、その典型と言われる。しかし、多元主義には行かないと思う。

この排他主義から包括主義への移行というのは、この第二バチカンによる変化を総括できるキーワードのように思う。

遠藤周作氏の最後の大作『深い河』は、多元主義的という解釈による、それへの批判もあったが、某カトリック信徒による評論の中で、小説の一シーンを取り上げ、いやそうではないという反論もあった。多元主義は、カトリック信仰の範囲を超えているという理解が、そこにはあると思うし、私もそう思う。

しかし、多元主義もまたキリスト教信仰の範囲の中という理解もある。『日本の将来とキリスト教』(古屋安雄著、聖学院大学出版会)の中(100~102頁)に、その説明がある。

私は、キリスト教信仰は、排他主義、包括主義までは認められるが、多元主義は、もうキリスト教ではないと思うけれど、その三者を神の三位一体に対応する類型として認められるという。多元主義容認の根拠が、神の三位一体であるという。これは、新しい課題である。

しかし、それにしても、第二バチカン、宗教多元主義をもたらした「問い」というものが、見えてきそうである。巨大な問いである。宗教多元主義の旗手であるジョン・ヒック氏が、その問いを明確にしているように思う。この問いの重みを思う時に、現代神学の流れがいくらか分かるような気がする。

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