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2008年3月 4日 (火)

「お伽噺」

明治生まれの著名なジャーナリストであった長谷川如是閑(本名・万次郎)には、自叙伝『ある心の自叙伝』がある。

それによると、如是閑は、「青年期を静養時代で過ごさなければならなかった」が、「それでも宗教を求める淡い心があったらしい」。深川・冬木町の閻魔堂橋の畔の寺「深川の閻魔堂」に法話を聞きにいったり、新富町あたりの橋の畔にあった「福音教会」のバイブルクラスに出席したりしていた。そこでは、アメリカ人の牧師が「お伽噺のような聖書の講義をするのに心を打たれた」。如是閑は、その牧師の熱心さには敬服していますが、講義の内容は「お伽噺」として片づけている。

この部分を読むたびに、如是閑は「非神話化」という解釈の方法を知らなかったのかも知れないと思う。あるいは、米人牧師が、そうであったのかも知れない。聖書は、弟子たちの解釈の中で書かれた部分もあるのだから、その部分に関しては解釈しなければ、正しく読むことにはならないのだと思う。「そのまま」という人においても、よく読むと、聖書の尊重の意味で、解釈を否定していない場合もある。

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