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2008年4月 1日 (火)

幸福論

ヒルティの 名著感動 よく読めば
 キリスト教の 視点動かず

神のそば近くにあることが最も幸福なのだというが、
それはウェスレーと同じ意見。

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コメント

4月17日、18日の二回、NHK深夜便で、『幸福論』の紹介がありました。

投稿: | 2008年4月18日 (金) 12時13分

神のそば近くにあることの幸福感を歌ったものとして、次のような讃美歌の歌詞がありました。

ああうれし、わが身も
主のものとなりけり
うき世だにさながら
あまつ世のここちす

うたわでやあるべき
すくわれし身のさち
たたえでやあるべき
みすくいのかしこさ

(1955年発行の『讃美歌』529番の中から1番のみ)

しかし、最近の讃美歌からは、この曲が削除されています。歌詞の言葉が古いからなのでしょうか。

讃美歌は歌うものですが、歌詞を読むのも有益と思います。

投稿: | 2008年4月18日 (金) 18時55分

『幸福論』を読むと、ヒルティが救世軍に共感し、同情していたことが分かる。その理由も、彼の信仰のかたちを考えれば、分かるような気がする。

幸福論は、実はウェスレーに共感しているのである。救世軍もまたウェスレーの信仰を継承している。また、ヒルティは実践的な信仰を提唱しているので、その点でも、救世軍に共感できるのであろう。私は、今は救世軍の制服を着てはいないが、メソジストの信仰に共鳴するところは、きっとなくならないだろう。

それにしても、信仰は生活の改善、改革を求めているのである。この点で、自分の生活を省みて余りにも不十分を感じている。まず祈りから始めねばならないかも知れない。

生活の仕方に変化が見られない場合には、その信仰は疑わしいように思う。このことは、信仰義認、絶対他力の信仰の受動性と矛盾はしない。もし、矛盾としかみられないのであれば、その時には、あの言葉が、その難題を解決してくれるだろう。それは、絶対矛盾的自己同一の言葉である。

投稿: | 2008年4月18日 (金) 20時49分

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