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2008年4月 3日 (木)

林住期

林住期 悟りを求め 伝えたら
 家住・学生 明るく照らす

定年・引退の林住期には、林住期にふさわしい使命があるのだろう。それは悟りを求め、悟りを伝えることかも知れない。

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コメント

「「林住期」をむなしく終えた人には、むなしい死が待ちかまえているだけだろう。その第三の人生をジャンプした者だけが、死を穏やかに受け入れることができるのだ」(『林住期』五木寛之著、幻冬社、36頁)

このジャンプというのが、私の言葉では悟りである。林住期の目的はジャンプである、それは悟りである。悟った人は死を穏やかに受け入れることができる、悟らない人には、空しい死が待ち構えている。著者もまた、林住期に悟れと、私に呼びかけているような気がしている。

投稿: | 2008年4月 6日 (日) 17時02分

五木寛之著『林住期』には、林住期が遊行期の準備という発想はなかった。しかし、ヒルティの『幸福論』は、そういう発想で貫かれていると思う。もちろん、林住期とか、遊行期という言葉はないけれども。

投稿: | 2008年4月 9日 (水) 06時14分

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