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2008年4月13日 (日)

死についての瞑想

神が万物を創造された時、その中には人間もいた。自然界を眺めた時、個々の人間には誕生の時があり、死の時もある。生物学的な死は、創造のはじめにもあって不自然ではないと思うが、同時に、死は、罪の結果ともいわれている。この罪は、創造の初めにあったものではない。従って、死には、この二つの意味がある。

生物学的な死と、罪の結果としての死。この二つが、本来は別のものと思われるのだが、関係しているようにも思える。

罪の結果としての死を許されて永遠の生命をいただくものとなっても、生物学的な死がなくなるという意味ではない。もちろん、永遠の生命を聖霊と考え、聖霊は、この地上の歩みの中で与えられるものという理解がある。永遠の生命が死後に与えられるものと考えれば、それが生物学的な死と時間的にだぶることはないので、問題はないかも知れない。

永遠の生命とは、神の生命であり、そこでは、生物学的生命は存在しないのだろう。なぜなら、生物学的生命に死がないとは考えられないからである。

だから、神の新しい創造は、これまでの創造とは違うのだとも言えると思う。復活の生命には死がない。だからそれ(復活の生命)は、生物としての生命では、ないとも言える。

神化により、神の命の中へ観念になる「私」は、終わりの日に、復活の日に、その観念が具体化、個別化されるのであり、今のような生物としての体が与えられるのではないかもしれない。生物としての体はくちるのが本質であり、くちない体は生物の体とは思えないからである。

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