« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月30日 (金)

カトリシスム

吉満義彦は「カトリック的世界観の根本理念」という論文の中で、こう言っている。

「カトリシスムは中世紀的なものと等置さる可き歴史的時代的観念形態ではないが、特に近世が中世の否定的要素を以て特色づけられる限り、カトリシスムはその時間的に空間的に普遍妥当的な真理性と共に、否正に其故に、近世に否定されし中世の永遠なるものにおいて意識されるのである。近世的人間の思想的危機における宗教的自己精算の道は、ただカトリシスムにおける再生か、近代的思想の論理的総帰結としての無神論における徹底的破壊かの二者択一においてある。危機における原始プロテスタント的神学は……近代的宗教性乃至イデオロギーの根源をなす所の、汎神論と矛盾同一性弁証法関係においてある汎神論的方向である限り、近代への反立においてあるものではなく、近代的世界の内部における一つの極性を形成するに外ならない」

二者択一は、カトリックか共産主義かの選択であり、プロテスタントは近代の枠組みの中で思考しているということであろうか。その弁証法神学へのコメントの妥当性は、なお問われるべきかもしれない。

そして、歴史的中世の永遠的なものを再考せよという。それに戻れとは言っていないのである。第二バチカン後の精神においても、「歴史的中世の永遠的なもの」は意味を持つのではないだろうか。であれば、吉満は今も忘れられてはいけない存在と思う。

この歴史的中世への態度は、もっと明確に表明されている。

「…吉満は、「近代的人間精神理念の自己精算」としてカトリシズムの復権を要求するにしても、それをベルジャエフ流に「新しき中世」と呼ぶことに対しては、「カトリシスムそのものの名において」断固として反対する。彼は言う。「而も尚『偉大なる中世』は過ぎ去った、過ぎ去るべき必然性を以て過ぎ去ったのである。『新しき中世』を語ることは非歴史的人間を語ることである」。そのように言う彼は、「カトリシスム自らは歴史的中世そのものとは別個のもの」であると主張しているのである」(『近代日本のカトリシズム』半澤孝麿著、みすず書房、79頁、注など一部省略)

ベルジャーエフは、歴史的中世に帰れと言ったのだろうか。そうではないと、私は思うのだけれど。

ただ、中世が、信仰と理性との関係を思索していたことを現代でも思い出す必要があるという点では、中世再考も意味があると思う。信仰と理性との関係は、時代を超えた課題でもあろう。

しかし、それにしても、吉満の中世観は、遠藤周作が対立的に見る相手ではないことが、これではっきりしたと思う。だから、小野寺氏が吉満と遠藤との連続性を指摘されるのは正しいのであり、吉満の課題を遠藤氏が展開していったという一面もあるように思う。

| | コメント (1)

最近、小野寺功氏の著書を何冊か読む機会があった。「さて、小野寺の思索はダイナミックな発展というものには乏しい。キリスト教神学の三位一体論を西田幾多郎の「場所の論理」によって再解釈するという着想がまずあり、以後の歩みはその論理的精密化に費やされたといってよい」(日外選書『須賀敦子と9人のレリギオ』神谷光信著、145頁)と著者の神谷氏は書くが、確かにそんな感じもある。しかし、西田哲学とキリスト教をつなげるという試みは重要かと思う。そのことが理解された時、小野寺氏も歴史の中で記憶されていくであろう。

西田幾多郎は京都帝国大学の教授であった。彼を中心にして出来た学派を京都学派といった。この学派の人々は、仏教ともキリスト教とも関係がある。その意味では、キリスト教側から、この学派に接近することは、意味のあることであろう。

西田の後妻のなって琴はキリスト者で、西田の死後、湘南YWCAの初代会長になった。西田の後継者の田辺元も、戦後、キリスト教に関心を寄せて、自分を「キリスト者への途上にある者」と意識していたという。小野寺氏の著書にも、田辺へのま言及は多い。

西田の言葉に「絶対無」というものがある。これは何か。般若心経に「色即是空」という言葉がある。ニヒリズムの感覚を指しているのだろう。しかし、そのすぐ後に「空即是色」という言葉が出てくる。万物生成の原理を指しているのだろうか。絶対無とは、この「色即是空」と「空即是色」の転換点にあるのかも知れない。キリスト教的に言えば、回心、新生、義認など、すべての人への神の「招き」の場所を指している。であれば、絶対無とは、単なる無ではなくして、神が介入する無なのだろう。

無に関して、面白い話がある。

元富士銀行頭取で、95歳の高齢で逝去した岩佐凱実(よしざね)さんに自伝『回想八十年』がある。それによると、昭和25年9月に単身渡米した時、入国管理官から、信仰する宗教を聞かれたという。岩佐さんは、「無宗教」と答えると、変な顔をされたという。そこで、「私はキリスト教徒でも仏教徒でもない。神道でもない。いわんやイスラム教徒でもない。しかし私は宇宙の神を信じている」と答えると、解放してくれたという。無宗教といっても、その宗教は人造宗教の意味かも知れない。

無教会も、無の言葉を冠している。内村鑑三は教会のあり方に疑問を感じて「無教会」となったが、「無」の意味に「教会の本質を問う」積極的な要素を込めるようになった。これは、私の感想であり、可見的教会への問いであり、不可見教会への問いではない、と思う。のちに無教会人がブルンナー著『教会の誤解』を邦訳した。ブルンナーは無教会を評価していた。

名作「東京物語」などを通して銀幕に女優・原節子の魅力を輝かし続けた小津安二郎監督の墓は北鎌倉の円覚寺境内にある。そこには「無」の一字が刻まれている。これは、小津監督の特注の墓なのかと思ったが、のちに、雑司ヶ谷霊園でも、全く同じ「無」の一字の墓を見たことがある。

それにしても、「無」の魅力には日本人としては抗し難いものがあるのかも知れない。

| | コメント (1)

2008年5月29日 (木)

武田友寿論

■内村鑑三への関心
カトリックの文芸評論家、故武田友寿さんは内村鑑三についての二つの本を残された。一つは『内村鑑三・青春の原像』であり、もう一つは『正統と異端』であった。

『内村鑑三・青春の原像』の中で、武田さんは、カトリック信者でありながら、無教会そして内村鑑三に関心を持つ理由を明らかにされている。そのような関心と仕事は継承されなければならないと、私は感じている。これからますます重要になるだろうと思う。

それは、内村という人物が大きな問題提起者であり、それは、それぞれの解釈を求めているからである。従って、カトリックがカトリックとしての無教会論、いや内村論を展開しても一向に構わないのである。特に、文化内開花という線での努力を重ねている現代日本のカトリックにとって、内村は、ある意味で「先達」である。であれば、カトリック的鑑三論が出てきても、いっこうにおかしくないのである。

■関心の核心
武田さんは、遠藤周作の小説に対する評論をされているが、その視点というものに着目すべきであろう。それは遠藤のカトリック的視点と、それ以外のプロテスタント小説家の「近代的」視点の対比を試みられるからである。それは同時にプロテスタント批判の視点を匂わせているのだ。そこには「中世的」カトリシズムと「近代的」プロテスタンティズムの対比と、相互批判の視点がある。

だいたい、明治以降の近代日本でのキリスト教の小説はプロテスタンティズムの影響の下にあった。そこでは、プロテスタンティズムの関心の下で、その解決を求めて、小説が書かれていた。しかし、カトリックの小説家としての遠藤は、それとは違う視点を持っている。それが「中世的」視点なのだ。

遠藤が登場して、一連のキリシタンを題材とした小説を発表していった時に、キリスト教界では、特にプロテスタテントの一般信徒の中では、その意味を的確に捉えることができないでいたのではないだろうか。日本のプロテスタテントは、近世日本のキリシタンを自分たちの信仰の歴史とは思わないのではなかろうか。その時に、遠藤がキリシタンものの小説を発表していっても、それが、どのようにして自分たちに対する問い掛けなのか分からないということがあったと思う。しかし、武田は、それを分からせてくれたのである。

遠藤が築いたキリシタンものの小説群によって、カトリック的「中世」の「存在」が知らされた。それは同時に「近世」「近代」に対するカトリック的見方を誘発するが、そのような見方というものは一般には余り知られていなかったと思う。それほど、プロテスタント一色であった。しかし、遠藤の築いたキリシタン小説群によって、「近世」あるいは「近代」から「近代」を見る視点だけではなくして、「中世」から「近代」を見る視点もあるということを知ることが出来た。それは「近代」の問題を解く上での、一つのヒントになるのだ。

遠藤は吉満義彦との関わりで、西洋中心の意識を遠ざけたのであるが、その興味というものは西洋から日本へと、少し修正されたけれど、やはり西洋のカトリシズムの思想の影響を受けざるを得なかった。彼の赴くところは、やはり日本が西洋中世と出会った時、織田信長の時に遡る以外なかった。

無教会というものは、近代の中にあり、近代を超えようとする視点を打ち出している。それが「第二の宗教改革」とか言われる視点なのだ。そこで、同じように近代に対する批判を持っているカトリシズムと触れ合うのではないだろうか。

カトリックは、無教会と同様に、同じような問題意識を持って、近代批判をしているかも知れない。だから、カトリックと無教会とは対話をもつ可能性があるのであり、その先鞭としての武田の意義は大きい。

■内村との出会い
武田さんは、その著書『内村鑑三・青春の原像』の中で、冒頭、内村との出会いについて、かなり詳しく紹介している。そして、カトリックである自分と内村との関係については、こう言っている。

「『余は如何にして基督信徒となりし乎』を手にしたのは昭和二十三年の末であった。年明けて一月末、私はカトリック教会の門をくぐった。鑑三へ心酔する自分とのたたかいはそれ以後にはじまる。無教会派の内村鑑三と教会絶対主義のカトリシズム。その両方にひかれた私はいかにも矛盾撞着をおかしている。しかも、その鑑三によって私がカトリックへ導かれたのだ、といったら、人はその理不尽を笑うかもしれない。だが、それは事実だ。三十年、私が内村鑑三から離れられなかったのは実にこの矛盾のゆえで、と自分で思うことがある。同時に、カトリックを私が去らなかったのも鑑三から私が離れなかったからだ、としかいえない。これはまことにおかしな、私の内村鑑三体験というほかない」(10-11頁)

武田さんは、鑑三によってカトリックへ導かれたという。それを「まことにおかしな」と形容している。その「おかしな」という形容は、今でも、なお説明されてはいない。

しかし、すぐあとにある「カトリシズムに吸いこまれてゆく自分を必死に守るために、私は日本のキリスト者としての鑑三に自分をつなぎとめようとしていたのだったかもしれない」(12頁)という文章によれば、武田さんは、カトリック教会の「外国風」に、どこか逆らう自分を感じていたのではなかろうか。このあたりは同感する人がいるだろう。

<メモ>
■武田さんは、昭和24年1月末、カトリックの洗礼を受けた。
■武田さんは、キリスト教文芸誌「季刊創造」(1976年10月創刊)の編集長であった。雑誌は5号で休刊。その趣旨は「宗教と文学」問題の、現代的意味を文学創造の現場で探り、明らかにすることであった。
■武田さんは、「内村鑑三・青春の原像」の中で、「近代」の問題提起をしている。その視点は素晴らしい。しかし、無教会と内村が、その中にずっぽりと浸透しきっている現象かどうかは、もう少し検討した方がよいのではないか。
「私は今、私たちのしなければならぬことは、近代キリスト教の功罪を本質に立ちかえって問い直すことではないか、と考えている。近代キリスト教とは、もちろん、プロテスタント・キリスト教のことであり、明治、大正、昭和の三代にわたって日本の近代に広く深く根を張っている内村鑑三のキリスト教を問い直すことを意味する」(157頁)という。武田さんは内村の超克を志向しているのだ。それがカトリシアンとしての武田さんの課題なのであろう。しかし、内村には近代を超える視点もあるのではないだろうか。
■内村は既に札幌時代に「教派主義の弊害を感じている」。それは新しい教会をつくろうとした時に、宣教師とぶつかったことに根ざしている体験であった。

| | コメント (0)

千の風

千の風 慰めに富む 曲なれど
 汎神論で ないかと思う

不思議な歌詞である。ちょっと汎神論的に思えるのだけれど。

なぜ、人の魂が死後、風になるのか。風を聖霊とみなせば、人は死後、神になるのか。

いや、神と共に聖霊の働きに参加している。そんなイメージかも知れない。言葉を象徴として受け止め、解釈してみるのもよい。

人間の死の問題が取り上げられ、その解決の道が示唆されている。それがこの曲のヒットの意味なのだろう。しかし、その解決の道というものを、よく考えてみることも必要と思う。

義認なくして聖化論を語っているようにも思えるのである。

| | コメント (0)

2008年5月27日 (火)

異端

異端とは 真理断片 固執して
 広く対話を 拒否する態度

さればこそ 対話能力 正統の
 信仰の質 トマス見習え

| | コメント (0)

日米同盟

同盟は 重視すれども 宗教は
 余計に見える 戦後日本

マッカーサーの念願は果たされなかったように思う。なぜか、それを問うべきではないだろうか。

| | コメント (0)

日本の目覚め

日本の 目覚めの時が やって来た
 日本の歌の 形式使い

形式が 違う接近 ありとても
 深き眠りを 覚ますあたわず

新たな世 ああ極東に 小島あり
 恩恵の露 東西結ぶ

| | コメント (0)

創造的直観

「「想像力」も「想像行為」も、人間精神がもつ最も創造的な一特色--まさに、人間と多くの高等動物とをへだてる数少ない特徴の一つ--から生まれた言葉である。「想像する」とは、心象を創造する--もっと正確に言えば、われわれに打ち当たる無数にして無定形な事実や出来事のなかから、個々人が少数の事実や出来事を選別して、自身にとって意味を持つ一定形に組織する--ことであるのは明瞭である。19世紀のイギリス詩人シェリーが『詩の擁護』のなかで、「われわれは、認識するものを想像すべき創造的能力を欲する」と書いたとき、彼の念頭にあったものも、これである。想像するとは、創造に近い営為の機会を人類に与える行為である」
(『理性という名の怪物』ルネ・デュポス著、思索社、50頁)

めいそう
迷走が 瞑想を経て 観想す
 その限定に 我は満足

| | コメント (0)

天皇機関説

勇気ある 説に感銘 あの当時
 現人神は 君臨したり

天皇も 人間なりと 宣言す
 時代変われば 不思議思えど

| | コメント (0)

無教会

無教会 聖なるかたち 敢えて捨て
 空即是色 隣と対話

日本は 神国なりと 秀吉の
 反発思う 鎖国の因を

日本が 日本になる その論理
 知れば反発 なかりしものを

内在を 窮め尽くさん 超越へ
 その順あれば 光見えしも

| | コメント (0)

教団紛争

混乱の 渦中にありて 打開せん
 努めど更に 緊張増して

目を転じ すべての歴史 眺めなば
 新たな動機 導きに似て

| | コメント (0)

内村鑑三

なお続く 評論あれば 何かある
 課題を今に いかにつなぐか

教派なり 論争ありて 反論す
 第二改革 教派を超えて

論争とは内村とパーメリー女史との論争のこと。

「新しい中世」とは、今の私の思いでは、無教会とカトリックとの関係の中に生まれてくるビジョンである。

| | コメント (1)

生き方

一点を 見つめ突進 顧みず
 視界広がり 山脈となる

無教会は、内村の意識の中では一つの教派ではない。老婦人宣教師との手紙とのやりとりが、それを証ししている。

第二の宗教改革とは、教派を超えるという意味ではなかったか。教派を作ったことへの批判の目があったのではなかったろうか。その意識、視点はカトリックと触れ合っている。

であれば、全教派に、その精神の浸透が可能なのではないだろうか。そのこともまた、内村の思いのなかにあったのではないだろうか。

それを可能にする論理は何であろうか。この探究は、既に始まっているように思う。それは、キリスト教日本宣教の原点に関する問題意識でもある。

| | コメント (0)

正統と異端

異端とは何であるのか。こんな記述がある。

「けだし異端は常に一つの部分的真理を全体として高調するため他の部分的真理を否認し、もってカトリック教会に委託せられた全体的啓示の真理を破壊せんとすることにほかならないが、これに対してカトリック教会は異端の高調する部分的真理がすでに全体的啓示の中に、他の部分的真理を排することなく、完全に存立することを指摘し、常に新たに啓示の具体的全体性を宣揚しえたからである。ゆえにカトリシズムの異端に対する勝利は異端の中に存する部分的真理を否認することではなく、かえってそこに存しうる真理の一つの断片をも虚しくせず、それらの悉くを正統教説の全体的真理の立場から正しく再認識し、それらをまったく自己のものとなしえた場合に始めて完結するのである」
(『世紀への展望』松本正夫著、18頁。「マルキシズムとの対決」から)

…我々は古来異端の中に示唆され、また異端を強力ならしめた断片的真理がオルソドックスの全体的真理の中に改めて宣揚されるに到った時、異端が自然に消滅し、あるいは無力化して行った事態、そしてその時にこそ異端がみずからは意識せずして荷わされた一種の摂理的ともいうべき使命を果してしまったのだということを想起しつつ、…
(前同22頁)

著者は、異端の中にも真理契機がある、ということは完全に承認している。しかし、それが正統によって正しく承認されないことが多かったのではないだろうか。あるいは、それが異端に知らされていなかったというべきか。トマスの「神学大全」を読めば、異端との対話が丁寧に展開されている。そのような手続きが必要なのだと思う。

そんな手続きを欠く時、異端は対話拒否の頑なな姿勢を持つようになったのではないだろうか。

これらは、一つの姿勢であろうが、第二バチカン以降は、異端の中にある真理契機を重視するという姿勢に転換したのだと思う。だから、今、異端であることの特徴は「対話拒否の頑なな姿勢」となっているのかも知れない。

「人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない」(ルカ12章10節)

異端とは、「人の子の悪口を言う者」かも知れない。しかし、彼らは赦されると言われている。では、「聖霊を冒涜する者」とは誰か。「対話拒否の頑なな姿勢」の人たちなのかも知れない。であれば、正統主義者が異端に転換する可能性もあるかも知れない。

| | コメント (0)

絶対矛盾的自己同一

自力でも 他力でもなし 半ペラか
 矛盾同一 これが正解

救済の論理は、自力か他力か、それとも両者の協力による半ペラギウス主義によるものか。自力は退けられたが、他力か半ペラギウス主義かは、論争の種が残っているかも知れない。このへんは丁寧に説明していかなければならないのである。他力を否定する半ペラギウス主義も、半ペラギウス主義的真理契機を否定する他力も違うような気がする。

あるいは、半ペラギウス主義は、自力と他力との絶対矛盾的自己同一なのだろうか。であれば、それは自力と他力との論争の次元を超えている。しかし、同次元に引きずり下ろして、批判されているのかも知れない。

エキュメニズムというのは、このへんの論理を解明しなければならないのである。

| | コメント (0)

謝罪

ミレニアム 直前謝罪 忘られぬ
 過ち多し 教会史かな

| | コメント (0)

無教会

無教会 色即是空 色を見て
 限界超える 空即是色

| | コメント (0)

2008年5月25日 (日)

理性的認識

E・ジルソンは、こう言っている。

「認識の諸様態の伝統的な段階組織は、キリスト教思想家によれば、つねに信仰、理性的認識、顔をあわせて神を見ることの順である。「われわれがこの生において得る理性的認識は、信仰と直感との中間に存するものであると考える」(inter fidem et speciem intellectum quem in hac vita eapimus esse medium intelligo.)-聖アンセルムスはこのようにしるしている」(筑摩叢書204『中世哲学の精神 上』ジルソン著、50頁)

最後の「顔をあわせて神を見ること」が至福直観なのだろう。それが人生の最終目標である。それはいい。その前に理性的認識が来ているのだが、普通は、信仰の前に置くのではないだろうか。信仰の後に理性的認識を置くのであれば、その理性は、人間を理性的動物と定義した時の「理性」ではなくて、聖霊によって教えられたことを知る「理性」認識というものであろうと思う。

| | コメント (0)

新しき中世

ローマ帝国において迫害されていたキリスト教が、やがて公認され、国教となっていく過程を、どのように考えるべきなのだろうか。それは、キリスト教の勝利かも知れないし、そうでないかも知れない。しかし、歴史は、そのように時を刻んでいったのであった。

こうして生まれた中世社会は、ユダヤからは宗教(キリスト教)、ギリシャからは学問、ローマからは政治と法律という三者の融合で形成されていった。ユダヤ(キリスト教)は霊的部分、ローマは肉体的部分、そしてギリシャは精神(知的)的部分を表しているようでもある。人の構成が社会の構成と重なり、それはそれなりに理想的なものが生まれたとも思えるかも知れない。

その中で、ユダヤ(キリスト教)が首位を占めたことで、恐らく、キリスト教的には理想的な社会が出来たのかも知れない。

やがて、16世紀となり、中世社会は崩壊していく。それは近代のスタートでもあったが、そこには、何か、希望と共に、異常なものもあったのかも知れない。

ピューリタンらの倫理には信仰的要素があったが、それが世俗に流れて形成された資本主義社会は競争の社会になった。それは終末を目指していく。そして、戦争の世紀と言われた20世紀がやってきた。それは近代の終末でもあったのだ。

いま、教会は分裂から一致への歩みを模索している。教会の一致が実現していけば、それは社会の中で、再び重要な役割りを占めていくであろう。

21世紀という時代は、古代教会においてキリスト教が勝利していったような、そしてある意味で、千年王国の影であったかも知れない中世社会を生み出していったような、そんな世紀となるのかも知れない。そんな方向性の中で考えるのも面白いかも知れない。「御国の来らんことを」との祈りは、そういう方向を向いているのではないだろうか。

その時、歴史的な西洋中世を単純に範とするのではなくて、その形而上学的原理の永遠性をこそ範として、新しい総合を企画すること、それが第二バチカンの精神に対する一つの応答かも知れない。日本のカトリック者たちの中には、その論理を探している人たちがいるし、中には、もう既に、ある確信を表明している人もいる。今、教会は、教会一致、諸宗教対話を実らせるための、新しい考え方を見出さなければならない。

| | コメント (0)

2008年5月23日 (金)

母なるもの

遠藤周作氏のテープ「日本人とキリスト教」を聞き、思いをめぐらせた。

遠藤氏は、キリスト教において母なるものを強調した作家として知られている。宗教において母なる要素が重要であることは異論がないだろう。

徳川禁教体制の中での隠れキリシタンたちが、母なる要素を取り入れて、マリア観音の信仰を保持していったということは、当時の全体主義的な強権政治の中では仕方なかったのではないだろうか。同時に、観音の中に仏教徒を偽装したのかも知れない。

徳川時代の中で、禁教処置にされた宗教を信じた時に、父なる要素を表に出すことは出来ない。そのような信仰は殉教者の信仰であり、徳川時代では許されないことであった。だから、そこで生き延びたのは母なる要素であったとも言えるのではないだろうか。

時代が変わって、明治維新では、父なる要素がキリスト教に求められた。それは、新しい権威の中で、キリスト教の自己主張のためには、父なる要素が求められたからである。

従って、明治の、あるいは近代日本のキリスト教の主流はプロテスタントで、カトリックではなかった。近代日本の中でのカトリックは、日本の国民感情全体と共に、徳川時代の屈折した意識の制約の中にあり、日本への影響では、プロテスタントに遅れをとったのである。

| | コメント (1)

2008年5月22日 (木)

竹島問題

日韓に 領有権の 主張あり
 どこが対立 知らぬ国民

| | コメント (0)

大相撲

大相撲 外人力士 盛り上げる
 国技の中で 国際化へと

| | コメント (0)

御国

御国はキリスト者だけの閉じられた国なのだろうか。最終的にはそうかも知れないが、この歴史の中では、それは実現しない。実現したら、それは歴史が終わってしまったということだろう。
であれば、他の宗教や思想との関係を考えることは必要だ。こんな単純なことが分からないでいたのである。

| | コメント (0)

遠藤周作作品

西洋の 中世はなし 周作氏
 仏教対話 遺作に描く

吉満義彦との対話で、日本には西洋のような中世はない、と言った遠藤氏。西洋の中世はキリスト教とギリシャ思想の交渉の果実であった。であれば、キリスト教とインド思想・仏教との交渉を求めたらどうか。遺作の思いはそこにあったのだろうか。そこに、新しき中世の構想がある。

| | コメント (0)

2008年5月20日 (火)

郷愁

ソ連なく 共産主義を 過去に捨て
 比較論じた 人の郷愁

「比較論じた人」というのはベルジャーエフです。キリスト教と共産主義を比較しています。共産主義を批判はしていますが、そこにキリスト教の影響を感じています。両者を比較することで、見えてくるものがあるのでしょう。それは教会にとっても、意味があるかも知れません。しかし、ソ連共産主義が、もう過去のものになってしまったので、比較する意味も失われてしまったかも知れません。

| | コメント (0)

運動として

「新しき中世」には、神学・哲学・思想運動の芽があるのではないだろうか。エキュメニズムや諸宗教対話ともかかわれるかも知れない。
 それは、歴史的中世を模範とするものではなくて、その中にある永遠的なものを重視して、そこにおいて常に、時と所の変化の中で対応し、聖化の道を歩ませるものであろう。そんな視点を思う時、ケーベルの蒔いた種の成長という意味も持っているかも知れない。

| | コメント (0)

よき地

神の種 よき地に落ちて 実を結ぶ
 大地も大事 足もとを見よ

日本の福音にとってはよき地ではないと言われてきた。果たして、そうなのだろうか。福音の捉え方の問題があるのではないだろうか。

| | コメント (0)

歴史家

歴史家は 先祖供養の 達人か
 過去との対話 今生きる糧

| | コメント (0)

自殺

個を生きる 神共にいて 幸なれど
 孤独の地獄 耐えられずして

公の 絆に命 あればよし
 命の絆 頼る心に

| | コメント (0)

2008年5月18日 (日)

「重要な結節点」

小野寺功氏は、吉満義彦のカトリック的な宗教哲学と遠藤周作の文学とのかかわりについて、「吉満義彦と遠藤周作をめぐって」の中で述べている(『大地の文学』春風社)。その中で、「日本のキリスト教思想界においても、この重要な結節点が少しも掘り下げられていないように思われるからである」(239頁)と記している。

この本の出版は、2004年だが、この関係の指摘は「新しき中世」の理念を考える上でも重要である。それは、遠藤氏の業績を、その先達たちの思いと繋げられるどうかの検証の意味を持つからである。

| | コメント (2)

吉満の思い出

遠藤周作氏が吉満義彦について書いたのは、1975年2月、新潮社版「遠藤周作文学全集」6『沈黙・母なる者』月報1においてで、「あの人、あの頃1」として書き下ろされた。その後、1986年2月、文芸春秋刊『心の夜想曲』、1989年2月、文春文庫『心の夜想曲』に収録されている。私は、文庫で読んだのだろう。記憶がある。

| | コメント (0)

伝統

岩下神父は、歴史的中世の紹介、「移植」を、吉満氏は、中世的原理の永遠性への洞察、そして、遠藤氏は、吉満氏にあった、ある願望の展開であったのかも知れない。

| | コメント (0)

混乱

社会派と 教会派とが 対立す
 賀川はどちら 矛盾同一

賀川豊彦という人物は社会派的であり、また教会(福音)派的でもあった。
内村鑑三の信仰は対決型のようにも見えるが、接ぎ木型でもあった。ここにも矛盾同一の次元が現れている。

| | コメント (0)

可見的教会

腐敗あり 計算ずみの 論者らと
 反発の人 どこで折り合う

| | コメント (0)

2008年5月16日 (金)

伝統の理解

「日本近代のクリスチャニズムを考えるときに、内村鑑三が特筆すべき重要人物であることはいうまでもないが、歴史の定点観測という視点に立つとき、カトリック司祭たちこそそれにふさわしいものではないだろうか。具体的には、太平洋戦争終結までは岩下壮一と吉満義彦(彼は司祭ではないが)、戦後は門脇佳吉、奥村一郎らを取り上げることが適当と思われる。……カトリックもまた二十世紀に大きく変化したが、個人は変わっても、教理は変わらず、日本近代を定点観測する存在として、彼らほど相応しい存在はあるまい。
 少なくとも、カトリシズムというプリズムを通すことにより、これまで見えなかった日本近代思想の諸問題が次々に可視化してくることは明らかと思われる」
(日外選書『須賀敦子と9人のレリギオ』神谷光信著、204-5頁)

私は、岩下壮一、吉満義彦までは同意するが、戦後は、むしろ遠藤周作氏につなげたいと思う。遠藤氏は信徒であったが、吉満も信徒であった。なぜ、司祭でなければならないのだろうか。

もちろん、門脇佳吉、奥村一郎神父らが来るのも、理解できないことではない。第二バチカン後の文化内開花という新しい方針の中での活動が際立っているからであろう。

お二人には、遠藤氏との関係、つながりは、あるのだろうか。遠藤氏であれば、吉満からのつながりがあるのである。「断絶的連続」といったような「絶対矛盾的自己同一的」なつながりがあるので、私としては、むしろ遠藤氏につなげたいのである。その歴史を書くことは面白いことである、と私には思われるのだけれど。

そんな関心は、プロテスタントにとっては、ある意味では、どうでもいいことかも知れない。余り関心はないだろうと思う。しかし、カトリックの中では重要なことで、井上神父の文化内開花の動機はよく分かるのである。

| | コメント (1)

小野寺功論

『須賀敦子と9人のレリギオ』(神谷光信著、日外アソシエーツ)の中に、小野寺功氏が取り上げられている。

「さて、小野寺の思索はダイナミックな発展というものには乏しい。キリスト教神学の三位一体を西田幾多郎の「場所の論理」によって再解釈するという着想がまずあり、以後の歩みはその論理的精密化に費やされたといってよい」(145頁)

同感である。しかし、それでいいとも思う。哲学の学徒は、自分の哲学を持つべきである。小野寺氏は、単なる紹介に終わる人よりも、哲学の面白みを感じておられるであろう。

小野寺氏は、聖霊に着目しているが、どうしてウェスレーなどへの関心がないのだろうか。そこには、理論としてではなくて、体験としての聖霊論があるのだけれど。

「小野寺は、教理的に父、子、聖霊の順番で考えるのではなく、霊性的自覚から聖霊体験に進み、その後キリストへ、そしてキリストを通して神へ、と上昇していくと説く(『評論 賢治・幾多郎・大拙』)」(147頁)

霊性的自覚というのは、限界状況の自覚であり、大疑の状態であり、真剣に救いを求める心の段階のことであろうか。そして、その後に、「聖霊体験」がきて、「キリスト」がきている。しかし、聖霊体験の前に福音の告知が必要ではないのだろうか。であれば、まず「キリスト」がこなければならないのではないだろうか。その後に、「聖霊体験」ではないのだろうか。

しかし、信仰というものが単なる理性的理解に終わるものではなくて、実存的な理解の深化であるとするならば、その順序を再考することは大切なことと思う。

| | コメント (1)

2008年5月15日 (木)

無教会

無教会 カトリックとは 紙一重
 そこに架橋の 論理あるかも

その架橋は「内在的超越の道」であるかも知れない。それは、逆の超越的内在の路線だったキリシタン宣教の「失敗」への反省でもある。この「失敗」を見つめて、新しい道を模索しない限り、日本でのカトリック宣教は伸びないと思う。

カトリックと無教会とは、ある意味では、両極端であると思う。しかし、そこに絶対矛盾的自己同一の一条の光があるかも知れない。その光は、これまで、カトリック者のあいだでは発見されてこなかったと思う。内村鑑三には、その予感はあったと思う。

| | コメント (1)

第二の宗教改革

「第二の宗教改革」とは内村鑑三の言葉であるけれど、少し見方を変えれば、宗教改革の止揚となるのではないだろうか。その時は、「正」の方も、少し別の角度から見ることになるかも知れない。
また、その道は内在的超越の道と思う。それは、聖化の道であり、聖化の道を前進せよとの励ましでもあるのではないかと思う。

| | コメント (0)

2008年5月13日 (火)

日本のカトリック

『日本のキリスト教』(古屋安雄著、教文館)の中に、「日本のカトリック」という項目がある。大変よく、まとまった紹介であり、共感するところが多かった。

この文章に関して、カトリックの人たちは、どういう感想を持つであろうか。

ただ、残念なことは、小野寺功氏の名前がなかったことである。小野寺氏の「大地」思想、「聖霊の神学」は、忘れられることはないであろう。また、これからのカトリック思想の土台を意味するかも知れない、と私は思っているからである。勉強会があれば、私は参加したいと思っている。

小野寺氏は、割合、古くから自らの説を展開しておられるのだが、カトリック世界に、もっと紹介されてもいいような気がする。その本には、プロテスタントの学者も多く登場しており、プロテスタント信仰者の中でも、それほど抵抗感なく、読めるであろう。

古屋氏の紹介文は、第二バチカン後の多彩なカトリック作家らの活動を紹介しているが、「その多くは遠藤との縁でカトリックになったという」(240頁)と書いている。遠藤とは、もちろん、作家・遠藤周作氏のことである。だから、遠藤周作論は、現代日本のカトリックを見るためには不可欠な要素なのである。その遠藤論を、戦前の岩下、吉満らの流れとの間に、対立・断絶のみを見るのか、それとも何かの連続を見るのか、そのあたりが問われるのではないだろうか。「新しき中世」論は、遠藤氏と吉満との対話を読んで、そこに、対立・断絶と連続との両方を見ることができるという視点である。

宗教対話に関しては、こうも言われている。

「またわが国の諸宗教との対話や協力において、カトリック教会の活動はまことに目覚しいものがある。プロテスタントは殆ど参加しないから、カトリックがキリスト教の代表になっている」(246-247頁)

これは、その通りと思う。その原因には、プロテスタントの信仰的要素が働いているのかも知れない。何事も意味が見い出せない場合、動機が形成されないからである。

信条は、「ある時と所で」生まれたものであろうが、その信条を掲げる教会に入る場合には、その信条に拘束されるものである。しかし、時代が変わり、別の場所で、別のニーズがある時、その信条が有効に機能するかどうかといった問題もあろう。

現代のカトリックの宗教対話は第二バチカンの成果なのであろうが、それは、それ以前の立場との断絶ばかりではなく、連続も当然あるのである。しかし、その連続も、現代の光の中から、再吟味、再検討されることを否定はできないであろう。

遠藤氏の問題提起は、第二バチカンに助けられて、現代日本に多くの共鳴者を生み出しているというべきかも知れない。

| | コメント (2)

公会議

公会議 世界教会 思う時
 自分の位置を 見つけやすいか

今、第二バチカンについて考えることは、カトリック信徒にとっては、世界教会について考えることである。その中で、自分の位置を確かめていけばよい。次の公会議や、その後のことを今は考える必要はない。

| | コメント (0)

カトリックの眼

維新時に 少し開いた その眼(まなこ)
 第二バチカン なお広がれり

紛争の 渦中の時の 公会議
 その意図のもと 新たな歴史

維新は明治維新。紛争は大学紛争。

| | コメント (0)

2008年5月11日 (日)

新しき中世

近世の 牽引因の 新教の
 ポストモダンに 生き残る道

現代の 包括的な 対話の場
 個々の動機の 無限包容

| | コメント (1)

2008年5月 9日 (金)

なぞなぞ

内村の 言葉は易し 謎もある
 謎の解明 我らの課題

内村は内村鑑三のこと。言葉は易しいと思います。理解できます。しかし、謎をかけられているようでもあります。その謎の解明は、後世に生きる我々の課題と思います。どういう解明があるのか、それは、ここで、これからも、おいおい取り上げていきたいと思います。

| | コメント (1)

対話

未知の神 心惹かれる パウロさん
 対話の前に はい、さようなら

アテネのアレオバゴスでのパウロの説教の記事が、使徒言行録17章16-34節に書かれている。

パウロは神について語っているが、やはり最後は復活が問題になったようだ。しかし、未知の神への関心が、パウロに説教を促したのであれば、それは自然神学と啓示神学との対話への試みではないだろうか。

「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った」(32節)とある。復活は、十字架の「失敗」を勝利に転換する決め手なのだから、説教の中では、これを語らざるを得ないのだろう。

この説教が無駄だったかと言えば、そうではない。

「しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた」(34節)とも言われている。

「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」(コリントの信徒への手紙一、1章22-24節)

パウロはギリシャとの本格的な対話には入らなかった。しかし、その後のキリスト教史はギリシャとの対話の中で形成されていく。その対話を、どう解釈すべきか。拒否すべきなのか、それとも応じるべきなのか。応じた場合には中世が生まれるが、拒否した場合には、どうなるのだろうか。しかし、すべての人への福音であれば、拒否はできないのではないだろうか。

| | コメント (0)

中国

中国を 助けよの声 五輪前
 世界関心 不安まじえて

中国の共産主義は、当初は現実的な選択であったのだろう。しかし、経済により世界に開かれた国になりつつある時、それが現実的に機能するのだろうか。

チベット問題は国内問題というけれど、現実的には国際問題になっているのである。そういう現実的認識を、ある解釈の枠の中でしか受け止めないとすれば、そこには知恵が働くであろうか。

五輪は、中国の転機になるかも知れないが、世界もまた不安を持って、何が起きるのか注目しているような気がする。

| | コメント (0)

2008年5月 8日 (木)

『あたらしい中世』

「1923年に私はベルリンで『あたらしい中世』というエッセイを書き、大きな成功をおさめた。『あたらしい中世』は14カ国語に翻訳され、またこの本にたいして多くのことが論ぜられた。われわれの時節の有意味化とその破局的性格を叙述しようとはかったこの小型の本は、私をヨーロッパの有名人にした。私自身はこの本にそれほど大きな意義を認めてはいなかった。しかし正直にいって、私はこの本のなかに多くのことを預見し、多くのことを預言しておいたのである。私は歴史的運命にたいしてとくべつ顕著な感受能力を所有している。しかしこのことは、私が--懊悩するまでに--歴史を愛しえないということと、矛盾しているのである。私は、多数の外国人からまっさきに『あたらしい中世』の著者とみなされることを、好まなかった。私はこの本よりもっと重要なかずかずの書物を著した。私自身には事実そのように思われるのである。しかしこれらの書物は広い読者層をえていない」
(ベルジャーエフ著作集8『わが生涯』白水社、345頁)

このブログのタイトル「新しき中世」は、ベルジャーエフの、このエッセイから取ったものです。当方の、現在の心境は、第二バチカン後の日本におけるカトリックの取り組みの中に、この洞察をからませたいという思いです。この流れは、日本では、ケーベル、岩下壮一、吉満義彦と続き、それから遠藤周作につながります。ケーベル、岩下には、歴史的中世への思いが強かったかも知れませんが、吉満には、もっと別の、柔軟な捉え方、「新しい中世」の創造を求めるような要素が見られます。それに結びつくのが遠藤周作ではなかったでしょうか。彼の本に、吉満との出会い、その対話が書かれています。それをどう読むのか、そこには吉満への批判があるのですが、同時に、第二バチカンの方針にバックアップされて、連続も見えた時、「新しき中世」の理念は、俄然、現代的なものとなります。この関係は、小野寺功氏も著書の中で触れています。このような、歴史観を持たないので、岩下壮一も、吉満義彦も、「忘れられた思想家」になってしまったのかも知れません。

| | コメント (2)

接待伝道論

接待は させていただく その気持ち
 それだけでいい それだけでいい

接待が 続く限りは ふと思う
 何がさせるか それだけでいい

人は人 自由の中で 決断す
 自由なければ 信と言えるか

| | コメント (1)

2008年5月 6日 (火)

巡礼

出会う人 白装束の 巡礼と
 接待をせん その意に感じ

巡礼は 時を旅する 人のこと
 終着点を 見つめつつ行く

死が、他人ごとではなく、自分のことであることを知った時、人は誰もが巡礼にならざるを得ないのではないだろうか。

| | コメント (0)

不幸

幸福は 時に不幸の 名で来るか
 今を超えたい 思いこそ幸

イエスの教えの逆説の解説。

| | コメント (0)

覚悟

意識では 白装束の 日々であれ
 葉隠を読む 巡礼であれ

| | コメント (0)

ギリシャ思想

ギリシャには 実存あるか 神求む
 心はあれど 理性抽象

| | コメント (0)

遠藤作品

「沈黙」で 始まり最後 「深い河」
 信仰を問う 課題残して

寮生が 舎監と交わす 対話あり
 断絶意識 されど連続

遠藤周作氏の作品は、まだ我々に信仰のあり方を問うていると思う。遠藤氏が寮生であった時の舎監が、吉満義彦であった。その時の対話が遠藤氏の、その後の生き方を決定したのだろうか。その二人の断絶と連続を思う。

| | コメント (0)

2008年5月 4日 (日)

再臨

十字架は 失敗でない 復活で
 聖霊を受け その果に感謝

再臨は 恵みと共に 教会は
 その感を知る 聖霊に聞け

以前、統一教会の話を聞いたことがあった。十字架は失敗であったという言葉が、印象に残った。なぜ失敗なのか、詳しく聞けば、あるいは納得できる部分もあったかも知れない。ユダヤ人たちがイエスを受け入れたら、どうなっていたか。その仮定の中で思考しているように思えた。そして、現代におけるユダヤ人はキリスト者であり、教会なのだとしたら、教会に執拗に働きかける意味も、何か分かるような気がした。恐らく、こういう思考の前提があったのだと思う。

しかし、復活は十字架が失敗ではなかったと言っているのではないだろうか。十字架が失敗としたら、それは復活も聖霊降臨もない宗教になってしまい、そもそも、キリスト教は存在しないことになる。その前提を否定してはならないのではないか。

再臨は聖霊の恵みを伴うものであろう。であれば、聖霊の宮である教会が、再臨の感覚を与えられないわけはないと思う。聖霊の満たしの中で、再臨を待ち望むのが教会の姿勢なのかも知れない。

| | コメント (1)

意味の探究

回心は なけれど生の 意味求む
 回心者への 問題提起

ベルジャーエフの自伝を読んでの感想。
彼の「生の意味の探究」が、キリスト者の回心体験に加わったならと思う。そこに仏教的モチーフの再考があるかもしれない。換言すれば、哲学的な動機を回心者に求めるということかも知れない。それは自分なりの人生観、世界観を作ることを意味する。

| | コメント (0)

2008年5月 2日 (金)

弁神論の問題

弁神論の問題は、創造信仰を持つ一神教の中では、悪の問題と共に起きるであろう。しかし、三一神教の中では、問題にならない。なぜなら、その回答が、そこにあるからである。それは弁神論の最高の回答ではないだろうか。それでも、弁神論の問題の問題が起きるとしたら、それは信仰が、三一神から一神に向いているからではないのだろうか。

| | コメント (0)

大地と超越

大地性 超越性と 矛盾せず
 右と左の 突破共存

| | コメント (0)

和解

神が御子の受苦により、その身代わりの贖罪において、その知らせ(福音)を聞き、承諾する(信仰)場合には、その人の罪を許し、その人と和解する。キリスト教では、そのように教えられている。そこでは、和解は神の側のことであり、人の側では、それを感謝して受け止めるだけだという理解が、そこにはうるように思う。

しかし、神が人と和解するのは一面のこであり、多面では、人が神と和解するのではないだろうか。

「神への信仰は、息子なる神、救済者にして解放者なる神、犠牲と愛の神が存在する場合にのみ可能である。息子なる神の贖罪の受苦は、神が人間と河合することではなくして、人間が神と和解することである。受苦の神のみが、被造物の苦悩と和解しうるのである。純粋な一神教は是認し難い。それは偶像崇拝の最後の形式である」
(ベルジャーエフ著作集8『わが生涯』白水社、239頁)

被造世界の苦悩から、その創造者へ向けられたイワン・カラマーゾフの問いは、正当な問いであり、それは、「受苦の神」において、正しく応えられているのである、と思う。

キリスト教は一神教として、批判される時があるけれど、正しくは三一神教であり、現代的には聖霊の宗教であろう。

一神教には、合理化された宗教という含意を感じるけれど、聖霊の宗教といった場合には、そういう合理化は許されず、絶対無の中での感覚が啓示として問題とされるのだろう。いわゆる、批判の対象とされる一神教というのは、絶対無の中にはない。

| | コメント (1)

2008年5月 1日 (木)

老い

老年期 一人二人と 去りゆくが
 寂しさはなし 主が共にいて

| | コメント (0)

夕闇

何もせず 気づいた時は もう遅い
 静かに暮れる 夕闇を身に

| | コメント (0)

内村鑑三

対決で 知られていても 接木型
 西田の論理 例はここにも
 

| | コメント (0)

中世人

地を知るに 地の原理にて 近代は
 天に向かいし 中世の人

神を知る そのため地知る 中世は
 科学の奥に 摂理を感ず

| | コメント (0)

西田哲学

究極の 自覚求めて 論理化を
 自覚の論理 今も学ばん

自覚の基礎は禅であろうか、仏教であろうか。両方といってもいいと思う。今も学ばれるべき教えと思う。西田哲学とキリスト教との関係を問う本も出ている。

| | コメント (0)

信即行

信仰か 行為かを問う 歴史あり
 信即行の 論理を知らず

人は皆 上と下とを 見て生きる
 信は上なり 行は下なり

| | コメント (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »