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2008年5月 8日 (木)

『あたらしい中世』

「1923年に私はベルリンで『あたらしい中世』というエッセイを書き、大きな成功をおさめた。『あたらしい中世』は14カ国語に翻訳され、またこの本にたいして多くのことが論ぜられた。われわれの時節の有意味化とその破局的性格を叙述しようとはかったこの小型の本は、私をヨーロッパの有名人にした。私自身はこの本にそれほど大きな意義を認めてはいなかった。しかし正直にいって、私はこの本のなかに多くのことを預見し、多くのことを預言しておいたのである。私は歴史的運命にたいしてとくべつ顕著な感受能力を所有している。しかしこのことは、私が--懊悩するまでに--歴史を愛しえないということと、矛盾しているのである。私は、多数の外国人からまっさきに『あたらしい中世』の著者とみなされることを、好まなかった。私はこの本よりもっと重要なかずかずの書物を著した。私自身には事実そのように思われるのである。しかしこれらの書物は広い読者層をえていない」
(ベルジャーエフ著作集8『わが生涯』白水社、345頁)

このブログのタイトル「新しき中世」は、ベルジャーエフの、このエッセイから取ったものです。当方の、現在の心境は、第二バチカン後の日本におけるカトリックの取り組みの中に、この洞察をからませたいという思いです。この流れは、日本では、ケーベル、岩下壮一、吉満義彦と続き、それから遠藤周作につながります。ケーベル、岩下には、歴史的中世への思いが強かったかも知れませんが、吉満には、もっと別の、柔軟な捉え方、「新しい中世」の創造を求めるような要素が見られます。それに結びつくのが遠藤周作ではなかったでしょうか。彼の本に、吉満との出会い、その対話が書かれています。それをどう読むのか、そこには吉満への批判があるのですが、同時に、第二バチカンの方針にバックアップされて、連続も見えた時、「新しき中世」の理念は、俄然、現代的なものとなります。この関係は、小野寺功氏も著書の中で触れています。このような、歴史観を持たないので、岩下壮一も、吉満義彦も、「忘れられた思想家」になってしまったのかも知れません。

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コメント

「岩下が今日までほとんど忘れられた存在であることのもう一つの理由は、戦後のカトリック教会が、岩下の顕彰にさほど積極的でなかったこともあげられる。これは、岩下のみならず、他の人物においても同様なのだが、特定の「個性」を顕彰することに教会はほとんど意味を見出していないのである」(日外選書『須賀敦子と9人のレリギオ』神谷光信著、194頁)

岩下は岩下壮一であるけれど、吉満義彦も「忘れられた存在」の中に入るかも知れない。その理由に、特定の「個性」の顕彰に教会は意味を見出していないと、著者は書いているが、カトリック教会の中には、聖人や福者がいて、列聖、列福という「顕彰」がある。ことしの11月24日には、ペトロ岐部と187殉教者の列福式が行われる。もちろんもそこには教会の意図があるのだろう。ということは、岩下が「忘れられた」というのは、その存在の意味、意味を見出す信仰の脈絡が分からないということではないだろうか。

投稿: | 2008年5月16日 (金) 10時03分

「岩下が今日までほとんど忘れられた存在であることのもう一つの理由は、戦後のカトリック教会が、岩下の顕彰にさほど積極的でなかったこともあげられる。これは、岩下のみならず、他の人物においても同様なのだが、特定の「個性」を顕彰することに教会はほとんど意味を見出していないのである」(日外選書『須賀敦子と9人のレリギオ』神谷光信著、194頁)

岩下は岩下壮一であるけれど、吉満義彦も「忘れられた存在」の中に入るかも知れない。その理由に、特定の「個性」の顕彰に教会は意味を見出していないと、著者は書いているが、カトリック教会の中には、聖人や福者がいて、列聖、列福という「顕彰」がある。ことしの11月24日には、ペトロ岐部と187殉教者の列福式が行われる。もちろんそこには教会の意図があるのだろう。ということは、岩下が「忘れられた」というのは、その存在の意味、意味を見出す信仰の脈絡が分からないということではないだろうか。

投稿: | 2008年5月16日 (金) 10時05分

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