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2008年5月29日 (木)

武田友寿論

■内村鑑三への関心
カトリックの文芸評論家、故武田友寿さんは内村鑑三についての二つの本を残された。一つは『内村鑑三・青春の原像』であり、もう一つは『正統と異端』であった。

『内村鑑三・青春の原像』の中で、武田さんは、カトリック信者でありながら、無教会そして内村鑑三に関心を持つ理由を明らかにされている。そのような関心と仕事は継承されなければならないと、私は感じている。これからますます重要になるだろうと思う。

それは、内村という人物が大きな問題提起者であり、それは、それぞれの解釈を求めているからである。従って、カトリックがカトリックとしての無教会論、いや内村論を展開しても一向に構わないのである。特に、文化内開花という線での努力を重ねている現代日本のカトリックにとって、内村は、ある意味で「先達」である。であれば、カトリック的鑑三論が出てきても、いっこうにおかしくないのである。

■関心の核心
武田さんは、遠藤周作の小説に対する評論をされているが、その視点というものに着目すべきであろう。それは遠藤のカトリック的視点と、それ以外のプロテスタント小説家の「近代的」視点の対比を試みられるからである。それは同時にプロテスタント批判の視点を匂わせているのだ。そこには「中世的」カトリシズムと「近代的」プロテスタンティズムの対比と、相互批判の視点がある。

だいたい、明治以降の近代日本でのキリスト教の小説はプロテスタンティズムの影響の下にあった。そこでは、プロテスタンティズムの関心の下で、その解決を求めて、小説が書かれていた。しかし、カトリックの小説家としての遠藤は、それとは違う視点を持っている。それが「中世的」視点なのだ。

遠藤が登場して、一連のキリシタンを題材とした小説を発表していった時に、キリスト教界では、特にプロテスタテントの一般信徒の中では、その意味を的確に捉えることができないでいたのではないだろうか。日本のプロテスタテントは、近世日本のキリシタンを自分たちの信仰の歴史とは思わないのではなかろうか。その時に、遠藤がキリシタンものの小説を発表していっても、それが、どのようにして自分たちに対する問い掛けなのか分からないということがあったと思う。しかし、武田は、それを分からせてくれたのである。

遠藤が築いたキリシタンものの小説群によって、カトリック的「中世」の「存在」が知らされた。それは同時に「近世」「近代」に対するカトリック的見方を誘発するが、そのような見方というものは一般には余り知られていなかったと思う。それほど、プロテスタント一色であった。しかし、遠藤の築いたキリシタン小説群によって、「近世」あるいは「近代」から「近代」を見る視点だけではなくして、「中世」から「近代」を見る視点もあるということを知ることが出来た。それは「近代」の問題を解く上での、一つのヒントになるのだ。

遠藤は吉満義彦との関わりで、西洋中心の意識を遠ざけたのであるが、その興味というものは西洋から日本へと、少し修正されたけれど、やはり西洋のカトリシズムの思想の影響を受けざるを得なかった。彼の赴くところは、やはり日本が西洋中世と出会った時、織田信長の時に遡る以外なかった。

無教会というものは、近代の中にあり、近代を超えようとする視点を打ち出している。それが「第二の宗教改革」とか言われる視点なのだ。そこで、同じように近代に対する批判を持っているカトリシズムと触れ合うのではないだろうか。

カトリックは、無教会と同様に、同じような問題意識を持って、近代批判をしているかも知れない。だから、カトリックと無教会とは対話をもつ可能性があるのであり、その先鞭としての武田の意義は大きい。

■内村との出会い
武田さんは、その著書『内村鑑三・青春の原像』の中で、冒頭、内村との出会いについて、かなり詳しく紹介している。そして、カトリックである自分と内村との関係については、こう言っている。

「『余は如何にして基督信徒となりし乎』を手にしたのは昭和二十三年の末であった。年明けて一月末、私はカトリック教会の門をくぐった。鑑三へ心酔する自分とのたたかいはそれ以後にはじまる。無教会派の内村鑑三と教会絶対主義のカトリシズム。その両方にひかれた私はいかにも矛盾撞着をおかしている。しかも、その鑑三によって私がカトリックへ導かれたのだ、といったら、人はその理不尽を笑うかもしれない。だが、それは事実だ。三十年、私が内村鑑三から離れられなかったのは実にこの矛盾のゆえで、と自分で思うことがある。同時に、カトリックを私が去らなかったのも鑑三から私が離れなかったからだ、としかいえない。これはまことにおかしな、私の内村鑑三体験というほかない」(10-11頁)

武田さんは、鑑三によってカトリックへ導かれたという。それを「まことにおかしな」と形容している。その「おかしな」という形容は、今でも、なお説明されてはいない。

しかし、すぐあとにある「カトリシズムに吸いこまれてゆく自分を必死に守るために、私は日本のキリスト者としての鑑三に自分をつなぎとめようとしていたのだったかもしれない」(12頁)という文章によれば、武田さんは、カトリック教会の「外国風」に、どこか逆らう自分を感じていたのではなかろうか。このあたりは同感する人がいるだろう。

<メモ>
■武田さんは、昭和24年1月末、カトリックの洗礼を受けた。
■武田さんは、キリスト教文芸誌「季刊創造」(1976年10月創刊)の編集長であった。雑誌は5号で休刊。その趣旨は「宗教と文学」問題の、現代的意味を文学創造の現場で探り、明らかにすることであった。
■武田さんは、「内村鑑三・青春の原像」の中で、「近代」の問題提起をしている。その視点は素晴らしい。しかし、無教会と内村が、その中にずっぽりと浸透しきっている現象かどうかは、もう少し検討した方がよいのではないか。
「私は今、私たちのしなければならぬことは、近代キリスト教の功罪を本質に立ちかえって問い直すことではないか、と考えている。近代キリスト教とは、もちろん、プロテスタント・キリスト教のことであり、明治、大正、昭和の三代にわたって日本の近代に広く深く根を張っている内村鑑三のキリスト教を問い直すことを意味する」(157頁)という。武田さんは内村の超克を志向しているのだ。それがカトリシアンとしての武田さんの課題なのであろう。しかし、内村には近代を超える視点もあるのではないだろうか。
■内村は既に札幌時代に「教派主義の弊害を感じている」。それは新しい教会をつくろうとした時に、宣教師とぶつかったことに根ざしている体験であった。

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