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2008年5月20日 (火)

運動として

「新しき中世」には、神学・哲学・思想運動の芽があるのではないだろうか。エキュメニズムや諸宗教対話ともかかわれるかも知れない。
 それは、歴史的中世を模範とするものではなくて、その中にある永遠的なものを重視して、そこにおいて常に、時と所の変化の中で対応し、聖化の道を歩ませるものであろう。そんな視点を思う時、ケーベルの蒔いた種の成長という意味も持っているかも知れない。

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