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2008年6月29日 (日)

経験と我

「われあって経験あるにあらず、経験あってわれあり」(『善の研究』)。この言葉に、倉田百三は涙を流したという。ところで、この言葉は、どういう意味なのだろう。

後者の経験は、キリスト者であれば、新生経験と解釈すれば、よく分かるのではないだろうか。仏教でも、大死一番という言葉がある。それは身心脱落、脱落身心を呼ぶ。後者の身心は、前者の身心ではないのである。

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道徳教育

道徳の 教育強化 賛成す
 人間学の 知見の上に

道徳教育が人間学を深めるのであれば、その強化に賛成したい。

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神学と宗教哲学

神学は対象領域が限定されている。それは仏教を対象にはできない。しかし、宗教哲学は、キリスト教と仏教を同時に対象に出来る。その二つに架橋できるところに神学とは違う価値があるのだろうか。

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生き方

今日の我 明日は勝つぞと ひばりさん
 実存に生く 気迫を感ず

「今日の我に明日は勝つ」美空ひばり

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2008年6月27日 (金)

仏性と創造

仏性に 汎神論の 疑いも
 神はすべてを 創造したと

涅槃経に「一切衆生悉有仏性」とある。その他、仏性が人間以外にも適用される場合もあり、どこか汎神論的にも思えるが、創造は存在者すべてに及ぶと考えれば、仏教との対話の道が開けるかも知れない。

救済論と創造論の二つの弁証法的関係の中で思索すべきなのだろう。仏教は、それを教えているのかも知れない。

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2008年6月25日 (水)

『季刊創造』のこと

カトリックの文芸評論家であった故武田友寿さんは、『季刊創造』の編集長だった。この雑誌に込めた思いを、武田さんは、こう記している。

「…私が数年前『季刊創造』(1976年10月創刊)なるキリスト教文芸誌を手がけたのも、本音を吐けば、「宗教と文学」問題を私たちが今日、回避しえざるものとしてとりあげ、その現代的意味を文学創造の現場において探り、明らかにしたいと願うからだったのである。不幸にしていまだその機熟さず、雑誌は五号をもって休刊のやむなきに至ったものの、私たちの意図は休刊をもって潰えたものではない。私のひそかな願いとするところは、このような問題意識を共有する同学、同攻の人々がともに語らい集まって、問題を深化、展開することの協同の場を形成することだが、しかしその機はいまだ私にも定かには見えないというのが真実と言わなければならない。だがそれは無定見に放置さるべきことではなく、近い将来、だれかが推進しなければならぬ緊要の事柄であることははっきりしている」
(『内村鑑三・青春の原像』武田友寿著、YMCA出版、164-5頁)

『季刊創造』の存在意義はなくなっていないということである。宗教と文学そして、哲学などの問題を語り合う「場」をどのように形成していったらいいのか、その課題は、今もなくなっていない。

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芸術共同体

芸術家は、作品を創造するのだけれど、それは個人の作業ではなくて、ある共同作業ではないかという指摘がある。遠藤周作氏は、それを「芸術共同体」という。

「作家のばあいは自分で書いていますが、ある目に見えない芸術共同体というのがあって、そのなかへ作家が身をおいていて、そういう先達の人たちの目に見えない影響のもとに書いているのではないのかということを私は考えています」(新潮文庫『人生の同伴者』89頁)

おそらく、そうなのだろうと思う。そして、肝心なのは、そのような共同体を形成していくことなのであり、それが形成されつつある段階で、価値のある作品はどんどん生まれていくのだろう。では、そのような共同体を形成するには、どうしたらいいのか。

それは、第一級の価値ある作品、人物に接触することであり、その印象を語り合い、共有していくことであろう。あるいは、ケーベルは、それを「古典」といったのかも知れない。そして、そのような古典に何を選ぶか、それもまた肝要と思う。それを間違えると、その後の作品の価値にも影響するからである。

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内村鑑三と賀川豊彦

内村に 日本は見える 賀川には
 それは見えない 比べてみれば

佐藤泰正さんは、こんなことを言っています。

「たとえば昔、私は賀川豊彦の『死線を越えて』など、あの三部作を論じたことがあるんです。賀川さんは日本における労働運動ないしいろんな問題の先駆者であり、また非常に優れた人です。ただそこにひとつはっきりわかったことは、賀川さんが入信なさる、あるいはいろんな問題のなかで、日本人である自分が、あの時代になかでキリスト教にかかわるという内面的な苦悩というのが露ほども出てこないんです。この日本人とキリスト教という問題です。賀川さんを別に否定する意味ではないんですが、その問題に限ってはどうもわからないという感じなんです。そう思っていたらある年配の牧師さんで賀川さんと親しい方が、「賀川くんはなかなか偉い立派な人だが、ただひとつどうしてもわからないのは、彼は日本人でありながらキリスト教に入るということに、なんらの苦悩なり、闘いなり、問題なりを語っていないし、それから見えてくるものがない」という意味のことを語っておられるのを読んだことがあるんです。」(新潮文庫『人生の同伴者』遠藤周作・佐藤泰正著、39頁)

「日本を救ってください」が、賀川さんの臨終の祈りの一部でなかったろうか。しかし、言われてみれば、特に、内村の日本人意識と比べてみれば、佐藤さんの言うような印象は認められるように思う。賀川さんは、日本という国を、どう考えていたのだろうか。

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2008年6月24日 (火)

西田哲学

悟りとは 自覚に通ず 新生か
 その見る所 ただ一つのみ

西田哲学の見ている所をキリスト教的に解釈してみよう。どうなるか。新生とか聖化とか、そういうものを見ているのではないのだろうか。

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神の富

神の富 どこにあるのか 知るならば
 不安なくして 生きれるものを

価値は富 少しずつでも 使うなら
 人も我をも 共に生かさん

「価値は富」とは、「価値は神の富」という意味。

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無教会とカトリック

武田友寿(たけだ・ともじゅ)氏は、内村鑑三について何冊か本を書いておられる。

『内村鑑三・青春の原像』(日本YMCA同盟出版部)には、自分の中での、無教会とカトリックとの関係について、こう書かれている。

「『余は如何にして基督信徒となりし乎』を手にしたのは昭和23年の末であった。年明けて1月末、私はカトリック教会の門をくぐった。鑑三へ心酔する自分とのたたかいはそれ以後にはじまる。無教会派の内村鑑三と教会絶対主義のカトリシズム。その両方にひかれた私はいかにも矛盾撞着をおかしている。しかも、その鑑三によって私がカトリックに導かれたのだ、といったら、人はその理不尽を笑うかもしれない。だが、それは事実だ。30年、私が内村鑑三から離れられなかったのは実にこの矛盾のゆえだ、と自分で思うことがある。同時に、カトリックを私が去らなかったのも鑑三から私が離れなかったからだ、としかいえない。これはまことにおかしな、私の内村鑑三体験というほかない」

武田氏は、かつて『季刊・創造』の編集長で、同誌には、プロテスタントとカトリックの文筆家たちが寄稿していた。武田氏の「内村鑑三体験」を思う時、武田氏は本当に適任であったと思う。

人は、岩下壮一神父と塚本虎二氏との対立を連想し、カトリックと無教会との間には、そんな関係だけしかないと思うかも知れない。吉満義彦も田中耕太郎も、無教会からカトリックに移っている。そんな人は他にもいる。

このような関係以外に、この両者の関係はないと思う人がいるかも知れないが、そうではない、と私は思う。その例が、武田氏である。

武田氏の残した本を熟読して、この二つの信仰にあって対立とは別の関係のあり方を探るのも意味のあることではないかと思う。小野寺功氏の「聖霊神学」というのは、どこか無教会的信仰と触れ合っていると、私には思えるのである。

そして、武田氏も小野寺氏も、清泉女子大学で教えられた。不思議な縁を感じる。

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2008年6月22日 (日)

「中世をつくる」

吉満義彦氏が、遠藤周作氏に、「新しい中世をつくるのだ」と励ましたという、その本の個所が分からなかったが、それは、新潮文庫『人生の同伴者』であることが分かった。

「「先生、われわれはいったい、そういう中世をもっていないのに、どうしたらいいんですか」という質問をしましたら、「戻るんじゃない、つくるんだよ」とおっしゃった。これはしかし、ものすごくたいへんなことだとおもいました。」(45頁)

その前には、こんな文章がある。

「たとえば近代主義を批判して、ジャック・マリタンは、中世に戻ろうと、要するに精神における神と信仰の連帯によって結ばれていた精神共同体というものを、われわれの近代は失ってしまった。近代は精神共同体を失ったところからはじまったのだから、中世に戻ろうと、「新しい中世」ということを書いている。そして吉満義彦とか岩下壮一といった方たちは、同じようなことばで「カトリック研究」とか、そういうところで発表されてるわけです」(44-5頁)

「新しい中世」というのは、マリタンなどのサークルで語られていた言葉でもあるようだ。私は、ベルジャーエフの著作の中から拾ってきたが。

しかし、ここで、吉満が、遠藤に「戻るんじゃない、つくるんだよ」と言ったことは、非常に重要と思う。そして、きっと、吉満は遠藤の探究を高く評価されたのではないかと、思う。

遠藤の中には、意識が日本に向いていたところから、西洋中心の師への批判はあったかも知れないけれど、師は、それを認めて、なお、遠藤の活動を評価することができたと思う。それが、この「戻るんじゃない、つくるんだよ」という言葉に込められているような気がしてならない。

思えば、知識階級へのカトリシズムの市民権獲得を目指した、吉満の師、岩下の念願もまた、遠藤によって大いに実現していったのではないだろうか。

遠藤の業績を、吉満のつなげることは、新しい遠藤論をもたらすことになると思う。それは、佐藤泰正氏のように、遠藤を堀辰雄、芥川龍之介、夏目漱石などと結びつけるのとは、少し違った意味あいを持つように思う。もちろん、そういう評論は、残念ながら、今に至っても現れていない。

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遠藤周作氏回想

紛争時 問題提起 実力で
 周作さんは 文の力で

師の立場 日本にないと 思えども
 その方向を 認める師かな

師の師あり 知的弁証 念願す
 見方変えれば 願いの実り

師は吉満義彦、師の師は岩下壮一です。

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無免許運転

未信者で 宗教論ず 無免許だ
 論じないより いいと思うが

遠藤周作氏の言葉「無免許運転」に寄せて。

この言葉は、あるいは、遠藤氏による「信仰の勧め」の意味を持ったのかも知れない。ストレートに「信じませんか」と言うよりも、インパクトがあったかも知れない。

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2008年6月18日 (水)

岩下壮一神父

上智大学に宗教学関係で盛んに活動していたA教授がいた。もう故人である。最初、神父さんかと思っていたが、信徒とのことであった。

ある日、学内で集会があり、そのあと、学外で食事を共にしつつ、雑談の時を持った。その時、A教授は、こんなことを言われた。

「岩下神父さんは第一バチカン時代の人。今は、第二バチカン後でエキュメニズムの時代。少し、時代が違うような気がする」

教会一致とか、教会協力とか、そんな時代に、プロテスタントに挑戦的であった岩下神父は、余り触れたくない人物という意味かも知れない。私も、かつてプロテスタント信徒の時代には、岩下神父は敬遠していた。余り、読みたくない人物であった。

確かに、神父には、そんな気分、挑戦的な姿勢が感じられる。しかし、知識階級にカトリシズムが浸透していった功績も大きいと思う。恐らく、これはこの神父からであると思う。

さて、A教授の言葉を額面どおりに受け止めようか、あるいは解釈の余地はないのだろうか。

現代社会への適応というのが第二バチカン公会議の目的であり、同時に、そこで教会一致を目指す方針が確定された。それを受けて、ルーテル教会との間に、信仰義認の教理に関する合意が得られた。

もし、この合意を第二バチカンの目的の一つと見れば、それは、少し歴史的な目を持って眺めれば、近世そして近代の終焉のしるしを意味しているかも知れない。

それは同時に、近代に対決姿勢を示してきた岩下神父の方向性とも合致するのではないか。第二バチカンを、そんな脈絡で見た時、中世研究を続けてきた岩下神父の業績は決して無意味ではなく、再び見直す時が来るのではないだろうか。

しかし、岩下神父のプロテスタント批判は、一種の「偏見」であるという意見も、プロテスタント側にはあるかも知れない。こういう意見を誠実に取り上げることも大切と思う。

宗教改革は、私の今の理解では、洗礼への問いであった。1994年に、岩下神父の『カトリックの信仰』が講談社学術文庫の一冊として出たけれど、随所に書かれているプロテスタント批判は、真実なのだろうか。恐らく、異論もあると思う。そういうことについて、細かく検証を重ねていくこと、そんな作業の中に、真実の教会一致への道があるのだと思う。

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文明の問題

文明とは見える世界のことではないだろうか。しかし、東洋、特に仏教圏では、創始者の生涯はよく知られていて、そこでは見える世界への問いから始まっている。出家の劇的な、見える世界における落差がそこにある。そして、無常が当たり前になっている。

その時、文明もまた、どれほど見える世界の勢力を誇っても、根本は無から免れることはできない。そんな感情は西洋的なものと異質なものかも知れないが、ロシアには、そんな感情が分かってもらえそうである。

「西欧人はかつて文明が正当化されることについていかなる疑問もいだいたことがない。これは純粋にロシア的な疑問であり、なんら教養も身につけたことのないロシア人のあいだにではなく、しばしば最高水準の教養の持主にみいだされる疑問である」(『ロシア共産主義の歴史と意味』ベルジャーエフ著)

日本で、ロシア哲学の研究が盛んになれば、これまでの西洋一点張りの意識から、もっと別の意識と視点が生まれるかも知れない。

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2008年6月15日 (日)

死を覚えよ

中世の標語に「死を覚えよ」があった。

人間にとって死ぬことは大切なことだ。
生きることも大切だが、死ぬことも大切なことだ。

死ぬことは悟りにつながっている。
死は神の罰であるが、その罰が現実化しなければ、
人間は悟りに至ることは出来ないという構造になっている。

しかし、もちろん、自殺を勧めているのではない。
死をニヒリズム、あるいは絶望と言い換えてもいい。

死ぬことを意識すること。
その、人間の限界の意識化の中で、福音の宣教は、なされなければならない。

その意味では、福音の宣教とは危険なことである。
人間の限界を意識化、現実化するからである。

その中で、確かに救われる人もいるだろう。
しかし、皆がそうだろうか。

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トマス解釈

トマス・アクィナスについて、大村晴雄氏は『近世哲学』(以文社)の中で、こう書いておられる。

「トマスにしたがえば、神の認識は、自然的理性のはたらきではじまるのであるが、その完成は、全く神に帰せられていたのである。ここでトマスは「啓示」という考えに立っている。この考えを、それだけとして切り離してみれば、神の認識は、確かに、神からわれわれに、注がれたものでなければならないのである。しかし、注目しなければならないのは、かれが、終りまで、自然的理性を否定していないということである。神の認識は、啓示によって、ますます高められひろげられはするけれども、終りまで、自然的理性による自然的認識なのである。われわれは、ここにもまた、現実的なもの、人間的なものの入念な神学化を見いだすことができる。われわれは、自然的理性のみをたよって、神についての最高の認識に入るのである。……これらの考察から、われわれは、トマスの体系を支えていたものが、自然的理性であったことを、結論することができる」(21-22頁)

「しかし」以下には、少し、異論を感じる。これだと、トマスはペラギウス主義者のように思われるのではないだろうか。自力救済主義者のようにである。

トマスは、一時、半ペラギウス主義の主張を持っていたが、アウグスチヌス研究の結果、その主張を捨てたといわれる。それは前半の理解の中に示されていると思う。

「しかし」以後の解釈は、トマスをペラギウス主義者、自力救済主義者に見なそうとしているように思えるのである。

山田晶氏の本を読んでも、確かに、そのような解釈があるらしいが、私は、そうは思わない。

要するに、罪によって、人間は人間でなくなるのではなく、罪の前後といえども、理性的動物という人間の本質、定義は変わらないということを考えれば、救いという一線を超えても、それは言えるのではないだろうか。しかし、それは、自然的な可能性の中に恩寵があるという意味ではない。

このへんの理解が、一番の要のように思われるのである。

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内村鑑三回想

新たなる 文明興せ 東海の
 小島にありて 預言者のごと

近代の 批判もありて 半眼は
 中世見つつ 旧に帰らず

新しき 中世ならば 如何かな
 近代超える テーマは今も

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近代の超克

吉満氏 座談会出る 何故と問う
 批判あれども テーマの魅力

批判とは、戦後の批判のことです。その批判の中には、余り吉満氏への言及はないように思いましたけれど。

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宣教活動

個人向け 回心求め 訴える
 それに限定 かつての道は

文化あり 対話通して 創造す
 かつてなきもの 試み続く

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2008年6月13日 (金)

引退の利益

 私は引退あるいは隠遁に魅せられてきた人間である。生涯、ケーニヒスベルグから一歩も外にでなかったカント、独身のまま研究生活を続けたニュートン、レンズ磨きで生計をたてていたスピノザ、また灯台守にも魅力を感じていたアインシュタインなど、隠遁に憧れ、実際、そのような環境で大をなした人は多いのである。南原繁も「屋根裏の哲人」と呼ばれていた。
 さて、内村の文章に次のようなのがある。それは引退、隠遁の利益を示して、キリスト信者の感動を呼ぶ。
「隠退の快楽は神と語る事比較的多くして人と語る事比較的少きことにあり、時代的事実に接すること少くして永久的真理を学ぶこと多きにあり、表面的交際を避けて誠実の友とのみ交はり得るにあり、此等の快楽ありて吾人は隠退の利益あるを知って、その損失あるを知らず」
 亀井勝一郎氏は、この言葉に一種の寂寥感を覚えているが、これは内村の負け惜しみではなく、本心であろう。この言葉によって人生の晩年も明るくなる。神の友となって、人は晩年を恐れるに及ばず、かえって大いなる快楽のあるを知り、希望のうちに晩年を迎えることができる。

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2008年6月12日 (木)

西田哲学

小野寺功氏は、大学で、教師から西田哲学は哲学ではないと言われたという。
なぜかは書かれていないが、あるいはあり得るかも知れない、と思った。

哲学は理性を最後の審判者として、普遍性を求めるものである。しかし、西田哲学の最終審判者は、あえて言えば、理性ではなくして、自覚(宗教的体験)である。自覚の説明が西田の求めたものであり、そこに西田哲学がある。これは、哲学と言えるのだろうか。

形而上学とか自然哲学とか、神の探求の成果は哲学である。しかし、自覚、あるいは宗教経験というものは、万人が承認するものではないのではなかろうか。その時、それは、普遍性、一般性を要求する学となりうるのだろうか。

しかし、まさに、そこにこそ西田哲学の魅力があるとも言える。なぜなら、生にとって一番大切な部分に単刀直入に切り込んでいくからである。

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哲学

バルト神学が優勢であったころ、哲学や自然神学が否定的に見られていた。
某大学哲学科に在籍していた私は、価値観に関して、何か場違いの所にいるようにも思った。
しかし、哲学も自然神学も相対的のものとして考えれば、その限りでは有用と思う。
哲学は最終的には神を問うのであろう。それは形而上学そして自然神学を生み出すかも知れない。それらを啓示と対立するものとして二者択一的に考える必要はないのではないだろうか。
相対者が絶対を主張すれば、批判は当然だが、相対者が相対であるなら、それでよいと思う。その中で対話の輪が広がるのではないだろうか。

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釈義

原理主義 そこにも釈義 隠れてる
 釈義を問えば 相互理解も

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スポーツ選手

目標を 定めて励む その姿
 人生の師と 我が生を見る

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2008年6月10日 (火)

燃える柴

モーセは、「燃える柴」を見た時、その存在が実存に変わったのである。彼は、日常性をあとにして、山、神の山に登り始めた。その過程が実存の過程である。そして、神の言葉を聴いた時、実存は、その目的を達成した。

実存は、私にとっては、神の言葉を求める人間存在のあり方である。そして、神の言葉を聴く時、実存のあり方を一応終えるのだ。

モーセが「燃える柴」の中から神の言葉を聴いた時、それはモーセにとって、危機的な時であった。不従順の罪に誘惑されつつ、その危機的場所を危うく通り抜けたモーセは、その時、新生を経験したといえるかも知れない。

実存は、日常性の中で、人間の限界を忘れている人々のあり方に対しては、優位に立っている。なぜなら、存在が、そこから支えを受けている意味を、実存は問うからである。しかし、それが魂の運動である限り、一つの静止点、着地点を持たなければならない。

それが瞑想の時、神の言葉を聴く時なのだ。なぜなら、神の言葉を聴いた時、人間の実存という問いのあり方は終わるからである。そこに新生・再生という魂の全く新しい経験がある。それは聖化の発端でもある。

そして、人は、その恵まれたあり方にとどまってもいいのだ。釈迦も、そうしたかった。しかし、そこから、新しい使命が与えられて、釈迦の場合には初転法輪になる。その使命は、もはや自分のためではない。他者のための使命なのだ。聖化の道が、そこから始まる。

ここでの釈迦への言及は不適当かも知れないが、一つの解釈である。釈迦の場合は、禅で、神の山に登り、悟りで新生を得たということであろうか。神の言葉は、耳で聴くのではなくて、魂で聴くということを考えれば、モーセの場合にも、象徴化を許してもいいのかも知れない。

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神学

神学を広義に解釈すれば、人はみな何かのかたちで「神学している」と言える。

「神学」(Theo-logy)は2つのギリシャ語からできている。神をあらわすセオス(theos)と、ことばとか合理性をあらわすロゴス(logos)の2つである。したがって神学とは神に関するロゴスであり合理的な思索である。「神」ということばを、正確に定義づけることは不可能に近いが、究極的なもの、一切のものの根源、最高の価値、と考えられるものを示すのに用いられるのが普通のようである。神とは、人生の目的または目標と考えるにふさわしいかたのことである。こういうように考えてくると、神学を否定して人生を考えることは不可能になってくる。
(「現代キリスト教神学入門」W・E・ホーダーン著、布施涛雄訳、日本キリスト教団出版局、10頁)

そこでは、「神学を否定して人生を考えることは不可能」と言われている。であれば、それらの諸「神学」の言説の検証が、一つの宣教にもなるのではないだろうか。

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西田哲学

普遍性 求める気迫 禅超えて
 西哲探る 意気込みを見よ

西哲に 心奪われ 足元を
 見ずに途方に 暮れる学者ら

幅広く 対話重ねし 西田との
 対話に期待 日本の未来

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空即是色の風景

空なくば 色のみ求む 無理ありて
 色を自ら 捨てる日本よ

色捨てん 自らなれば それもよし
 他人に言われ 腹がたつなり

空は「くう」、色は「しき」と読みます。
 

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2008年6月 8日 (日)

トマスとアンセルムス

印具徹氏は長く、トマス・アクイナス研究をされてきた。『トマス・アクイナス』という本が日本基督教団出版局から出ていた。

「トマスにおいては、『完全な神認識』は、恩寵によって助けられた『理性』によらねばならない」
「アンセルムス的立場は、トマス的立場が、いわゆる『主知主義』的であるのに対して、徹頭徹尾『主意主義』的である」
   
これら、二つの言葉に矛盾はないだろうか。トマスが理性を重視するのは皆が認めるが、それは「恩寵によって助けられた」とある以上、そこには信仰の意志が前提されているのだ。
   
印具氏は、その本の中で、こう言う。

「トマス的立場においては、恩寵によってささえられた理性と、古い生まれながらの人間における理性との間に一貫性がみとめられるが、アンセルムス的立場においては、古い理性と新しい理性との間に断絶がみとめられる」
   
この両者は矛盾しないのである。人は、堕落前も堕落後も、同一の要素を持っている。また、救われる前後でも、同一の要素を持っている。この認識は自然的認識だが、偽りではない。救いは、罪人にとっては、新しい要素の付与ではあるが、人という土台がなくなっているのではない。しかし、救いは、自然的能力で達成されるものではない。そこには断絶がある。これらは真理の対立ではない。二つが同時に真理である。
   
「宗教改革者ルターは、全力をあげて、人が神の前において義されるためには、ただ信仰『のみ』が、必要であること(Sola-fides-lehre)を主張しつつ、いわゆる『善行によって人は神の義に到達し得る』という当時のカトリック教会の教えと戦ったのである」

この個所は、今では時代遅れとなった。カトリックも「信仰義認」なのだから。プロテスタントは、カトリックを誤解して、カトリックの真理において、当時のカトリック教会と戦ったのではないだろうか。

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歴史研究

直接に 言えないことを 言うために
 歴史研究 例えのごとく

イエスの話には、例えが出てくる。歴史研究もまた、現代人への例えの意味を持っているかも知れない。

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評価

評価され 苦にする人も 意見持つ
 評価と言わず されど評価か

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山上の教え

山上の 教えに響く 色と空
 転換要 福音の核

色即是空と空即是色の転換点が絶対無なのだろう。そして、そこに神がおられるのだろう。

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ギリシャ哲学

ギリシャ哲学は、ソクラテスを除き、プラトンもアリストテレスも、まず外界を見ることから始める。その抽象の中で、神を探している。自然神学から啓示へと段階がある。しかし、このような段階は無用ではないか。
仏教では、外界を見る余裕がないところから始める。それが日本人には合っていると思う。そこに西田哲学がある。もし、日本で、仏教とキリスト教との対話を考えるなら、西田哲学を無視できないだろう。

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2008年6月 6日 (金)

大学生のころ

昭和40年、私は東京・四谷にあるカトリック系の大学に入学した。当初は、キャンパスは静かであったが、卒業のころは、大学紛争で騒然としていた。

専攻は哲学科であった。3年になってから、「純哲」、「倫理」、「宗教哲学」に分かれることになり、私は「宗教哲学」を選んだ。キリスト教に関心があり、実存哲学にひかれるものがあった。当然、目は西洋に向けられていた。しかし、D神父は、そこで、日本の仏教の書物をテキストに取り上げた。日蓮の「開目抄」や「立正安国論」などを読んだ。余り、関心がなかった。

そのうちに、紛争が始まり、勉強どころではなかった。

もう、40年の前の話である。

今、思うに、宗教哲学のコースであれば、西田哲学を取り上げるべきではないかと思う。そして、小野寺功氏(この方は、この大学の卒業生で、その著書には、私にとっては懐かしい教師たちの名前が出てくる)の著書などをテキストにしていけば、きっと、興味深い授業ができるのではないかと思う。

小野寺氏の著書は、分かりやすく、読みやすい。勘どころの繰り返しがあり、基本的に自分の世界観・人生観の確立への道筋が、エッセイ風に書かれていて、いわゆる哲学書にありがちな難解さは感じない。そこで、教えられるのは、自分なりの世界観・人生観の確立への勧めである。このようなアプローチが哲学の学びの基本になければいけないのだと思う。そこに哲学の面白さがあるのではないだろうか。

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2008年6月 5日 (木)

新・旧の思想的母体

『カトリックとプロテスタントの思想的母体-教会の一致を求めて-』(印具徹著、日本キリスト教団出版局)という本が平成8年に出版された。以下、その感想である。

著者は、アウグスチヌスをカトリックとプロテスタントの思想的母体とみなしている。

アウグスチヌスの一方をカトリックが、そしてもう一方をプロテスタントが思想的に継承していると見ている。
カトリックの継承者はトマス・アクィナスで、プロテスタントの継承者はアンセルムスで、アンセルムスの系譜の先に神秘主義者としてのボナベントゥーラを見ていて、彼に両者を超えた一致の原点を託している。

それは理解しやすいように単純化されていて、説得力も備えているが故に、考えさせられるのであるが、このような図式がプロテスタントに受け入れられるのであろうか。

印具氏の理解の中では、アンセルムスとボナベントゥーラというプロテスタント的信仰系譜がアウグスチヌスの純粋な信仰形態の伝統として捉えられていて、それがカトリックに優先すると理解されているのであろうか。確かに、ジルソンはトマスとボナベントゥーラの体系は違うが、両者を共に認めている。

しかし、プロテスタントの精神というものは、キリスト教の伝統の中から純粋なヘブライ思想を抽出することではないのだろうか。と言うのは、既にアウグスチヌスの中にユダヤ思想とギリシャ思想の混合が見られ、トマスにおいても同様であるが、プロテスタントは、このような混合の解体が狙いであり、そこで、純粋なユダヤ-キリスト教の伝統に帰りたいと願っているのではないだろうか。

このような発想は、残念ながら、印具氏の著書にはなく、逆に、ギリシャ思想の立場・主張を当然容認すべきものとしている。これも一つの論争点なのではないのだろうか。

宗教改革は、ユダヤ-キリスト教の伝統とギリシャの伝統の混合(歴史的中世)を、二つに分離して、一方はプロテスタント、一方は人文主義の伝統として二つの流れにしたということではないのだろうか。この両者は原理的には全く対立しているけれど、時に、混合されて解釈される。

ただ、いま、日本にあって、教会の一致の原理を考えていくのであれば、歴史的中世を構成したギリシャの要素を、そのまま認めていくのか、という問いがあってもいいと思う。それであれば、歴史的中世に戻ることを意味しないだろうか。別の要素で、新しい総合を志向した方が意味があるのではないだろうか。

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「地」の意識

小野寺功氏の「吉満義彦と遠藤周作をめぐって」という文章(『大地の文学』収録)は重要な、考えさせられる内容豊かなものであると思う。重要でありつつ、これまで誰も書いてこなかったテーマでもあり、こういう点に無関心な、現代カトリックの意識というものも、私も含めて不思議な気がしている。要するに、「地」を問うことを忘却しているのである。

「昭和のすぐれた知識人でありカトリック思想家であった吉満義彦の問題意識を最も本格的に継承し、それを批判的に展開していったのは、遠藤周作であると考える。また遠藤は、日本ではめずらしく魂の領域に迫った作家といわれるが、それとても吉満が体現していた霊性の優位の思想と決して無縁なものではない。むしろ両者はこの地下茎で驚くほど深くつながっているのである」(243-4頁)

遠藤論はたくさんあるけれど、遠藤と吉満との関係を本格的に論じたのは、これが最初ではないのだろうか。しかも、論旨は明瞭であり、説得的である。

私は、岩下、吉満の「しのぶ会」に参加してきたが、そこでは過去を「しのぶ」だけで、現代につなげるものを見出さなかった。そして、この現代につなげるものが見出せない時、「しのぶ会」はやがて動機を見失うのであると思う。動機がなくなれば、活動は止む。しかし、動機が見つかれば、活動は継続していく可能性がある。

そんなことを思っていた時、この文章を読んだ。遠藤周作によって、吉満が見出されれば、そこから岩下らが再び、その姿を現すことは大いに期待できるのではないだろうか。「忘れられた思想家」ではなくして、現代に語りかける思想家に変身できるのではないだろうか。

こういう初歩的な洞察さえ欠いていたということは、やはり我々の意識の問題性ではないかと思う。

「吉満は、ネオ・トミズムのJ・マリタンやキリスト教実存主義者のベルジャエフなどとの出会いを通して」(245頁)とあるが、吉満はベルジャエフと会ったことがあるのだろうか。もし、あったならば、フランス留学中、マリタンの関係で出会ったのかも知れない。しかし、著作の中でベルジャエフへの言及は、それほど多くはないと思う。

「遠藤は、生涯にわたる探究を通して、西欧キリスト教の蔭になっていた、根本的に「母なるもの」--つまり内在的超越的な聖霊の宗教としてのキリスト教に着目し、それを模索していったといえる」(261頁)と言われるが、後半の「内在的超越的な聖霊の宗教としてのキリスト教」というのは、西田の『場所的論理と宗教的世界観』にある「新しいキリスト教的世界は、内在的超越のキリストによって開かれるかも知れない」に対応した言葉であろうが、それが、遠藤の主張してきた「母なるもの」を意味するのだろうか。そして、「母なるもの」の中には、そのような大きな意味が込められていたのだろうか。これは今後の課題になるような気がする。

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西田哲学

西田哲学がキリスト教に触れているという指摘がある。その論理を学ぶことは信仰の理解の上でも有益かも知れない。

例えば、西田哲学に絶対矛盾的自己同一という言葉がある。そこで思い出されるのは、451年のカルケドン会議である。そこでは、キリストの神人二性一人格(ペルソナ)という正統派教理が確立されたという。

二性とは神性と人性、これらは絶対矛盾ではないのか。神は人ではないし、人は神ではない。この間の混同は許されない。しかし、キリストの中に、これら絶対矛盾が、一人格の中に「統合」されている。その一人格が「自己同一」であろうか。絶対矛盾的自己同一はイエス・キリストの神秘を表現しているようにも思えるのである。

西田の土台は仏教であり、禅であった。キリスト教を最初から見ていたわけではない。しかし、その言葉には、それでキリスト教信仰の真髄を表現できるものが多く見出されるように思われるのである。

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2008年6月 3日 (火)

しのぶ会

しのぶ会 今につなげる 何がある
 歴史に参与 誰も気づかず

歴史あり されど忘却 不思議なり
 気づきし我は 使命を感ず

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エキュメニズムの方法

方法に 内在的の 超越を
 再考の余地 あると思うが

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内在的超越と超越的内在

内在的超越は信徒の宣教の仕方であり、超越的内在が聖職者の宣教論かもしれない。信徒伝道は、内在的超越の仕方ですれば、うまくいくかもしれない。日本のような文化のある国では、超越的内在の伝道論は難しいのではないだろうか。少し、内在的超越の方向に転換してみてもいいのではないだろうか。

内在的超越とは滝沢克己の、第一義のインマヌエルを第一にして、第二義のインマヌエルを次ぎにおく見方であるかも知れない。超越的内在はその逆。超越的内在は排他主義の道、内在的超越は包括主義の道と言ってもよい。

内在的超越とは、ある意味では自然神学的試みなのかもしれない。自然神学の限界を語るのは容易だが、日本的、東洋的自然神学があってもいいかもしれない。それは広く、諸宗教対話の場でもあろう。

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2008年6月 1日 (日)

ルター批判の視点

岩下壮一神父には、ルター批判があるのだけれど、それが妥当しているのかどうか、私には疑問である。

特に、ルター派とカトリックで信仰義認合意声明が出ているくらいだから、その批判は何かの誤解があるのかも知れない。

要するに、義認と聖化の関係であり、ルターの義認には聖化が含まれていないという読み方を、岩下はしているようである。しかし、ルターの書き方、言い方には、そのように受け止められる可能性があっても、まさか、彼が、聖化なき義認を語っていたとは思えないのである。義認は聖化ではなく、確かに違う側面があるけれど、必然的に聖化をもたらす、その最初である、という理解はルター派の中にもあるのではないだろうか。まだ確かめていないけれど。

さて、岩下のルター批判は、こういうものである。

「ルッターの主張したように、全然罪悪の塊でどんな善をも行うことのできない者とするのは、人間をもって非道徳的存在にまで堕落せしめることであって、神の「善と見給える」創造の否定であり、マニ教的悪の原理を肯定して二元論に陥るに近いものである。このような存在には救いの成就に根底を提供すべき何物もあり得ない。従ってこのような存在は義とされても、その義は本質的内的義ではなくい、罪悪の塊にキリストの義を着物のように着せた擬制的正義であり、魂の真の聖化は成就すべくもない。すでに擬制的正義であるから、その結果である救いも当然擬制的救いに終わらざるをえない。それには罪を犯しながらでも信仰さえあれば足りるというのは論理一貫しているようだが、「神の本性に与る者」……というような新約聖書の偉大なる言葉は、このような贖罪観の中には活きてこない」(『岩下壮一全集』第4巻、232-3頁)

しかし、今、同じようなことを言うわけにはいかないだろうと思う。

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吉満氏のこと

遠藤周作氏の小品の中に「吉満先生のこと」がある。

これは、新潮社版「遠藤周作文学全集」6『沈黙・母なる者』(1975年2月刊行)の「月報1」に「あの人、あの頃1」と題して書き下ろされたもので、その後、文芸春秋刊『心の夜想曲』(1986年2月)、文春文庫『心の夜想曲』(1989年2月)にも収録されている。

この作品は、吉満氏と遠藤氏との関係を記した、私にとっては重要な証言なのだけれど、吉満氏が、遠藤氏の中世に関する疑問にもかかわらず、その取り組みを奨励する言葉が欠けていた。そんな言葉が、確かにあったはずである。

この小品は、冒頭、「学生時代に私が影響や刺激を受けた先生の一人に哲学者の吉満義彦先生がいる」と書き出している。

「信濃町の駅のそばにある基督教学生寮に転がりこんだが、そこの舎監をされていたのがたまたま吉満先生だったのである」というが、こり寮は現在の真生会館である。そして、創設者は岩下壮一神父である。当時、吉満氏は週3回、寮に宿泊されていたという。

遠藤氏はいう。

「先生が与えてくださった刺激は幾つかあるが、そのひとつは日本人と基督教ということを私に考えさせる切っ掛けをくださったことである」。そして、遠藤氏は、吉満の師であるマリタンの本も読み始めるが、こんな感想を抱く。「先生やマリタンの言う西欧的「中世」が日本にはないじゃないか、という疑問が次第に念頭に起きはじめたのである」。

この作品には、この疑問に対する吉満の応答は書かれていない。しかし、どこかで、読んだ気がするのである。それは、「新しい<中世>をつくればいいじゃないか」と、そんな励ましの言葉であったように思う。

しかし、遠藤氏は、この出会いを契機に文学に向かっていったのであろうか。

「君は哲学なんかより文学がむいている。私が知っている文学者で会いたい人がいたら紹介状を書いてあげよう。そして堀辰雄氏と亀井勝一郎氏に紹介状をすぐ書いてくださった」と吉満先生はいう。

遠藤氏は、この吉満の印象について、「私の印象では先生が我が国で一番はやく実存とか、実存的なものを語られた思想家の一人ではなかったかと思う」と書いている。トマスについて語りつつも、アウグスチヌスやパスカルについても語り続けた吉満氏には、そんな要素があったのかも知れない。

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西田の期待

無教会 内在的な 超越の
 行き方期待 西田の遺言

西田幾多郎の、最後の思い(「場所的論理と宗教的世界観」)の中には、無教会へのエールがあったのではないだろうか。もちろん、これは推測であり、証拠があるわけではない。
カトリックは教皇中心的であるので、内在的超越ではなく、超越的内在が基本なのだろう。しかし、よし知られたトマスの言葉など、内在的超越を重視しているようにも思えるけれど。
第二バチカンの信徒使徒職の指摘のなかで、内在的超越の道が試みられる可能性が残っているかも知れない。信徒の召命というのは、司祭など聖職者の召命とは違ったものではないだろうか。後者は内在的超越の道、前者は超越的内在の道を意味するのかも知れない。

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哲学徒

自らの 哲学なくて 哲学徒
 その名返上 そこから始む

天上を のみを見つめて 迷う時
 地を見よの声 波長に合わせ

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