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2008年6月 8日 (日)

トマスとアンセルムス

印具徹氏は長く、トマス・アクイナス研究をされてきた。『トマス・アクイナス』という本が日本基督教団出版局から出ていた。

「トマスにおいては、『完全な神認識』は、恩寵によって助けられた『理性』によらねばならない」
「アンセルムス的立場は、トマス的立場が、いわゆる『主知主義』的であるのに対して、徹頭徹尾『主意主義』的である」
   
これら、二つの言葉に矛盾はないだろうか。トマスが理性を重視するのは皆が認めるが、それは「恩寵によって助けられた」とある以上、そこには信仰の意志が前提されているのだ。
   
印具氏は、その本の中で、こう言う。

「トマス的立場においては、恩寵によってささえられた理性と、古い生まれながらの人間における理性との間に一貫性がみとめられるが、アンセルムス的立場においては、古い理性と新しい理性との間に断絶がみとめられる」
   
この両者は矛盾しないのである。人は、堕落前も堕落後も、同一の要素を持っている。また、救われる前後でも、同一の要素を持っている。この認識は自然的認識だが、偽りではない。救いは、罪人にとっては、新しい要素の付与ではあるが、人という土台がなくなっているのではない。しかし、救いは、自然的能力で達成されるものではない。そこには断絶がある。これらは真理の対立ではない。二つが同時に真理である。
   
「宗教改革者ルターは、全力をあげて、人が神の前において義されるためには、ただ信仰『のみ』が、必要であること(Sola-fides-lehre)を主張しつつ、いわゆる『善行によって人は神の義に到達し得る』という当時のカトリック教会の教えと戦ったのである」

この個所は、今では時代遅れとなった。カトリックも「信仰義認」なのだから。プロテスタントは、カトリックを誤解して、カトリックの真理において、当時のカトリック教会と戦ったのではないだろうか。

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