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2008年6月 5日 (木)

新・旧の思想的母体

『カトリックとプロテスタントの思想的母体-教会の一致を求めて-』(印具徹著、日本キリスト教団出版局)という本が平成8年に出版された。以下、その感想である。

著者は、アウグスチヌスをカトリックとプロテスタントの思想的母体とみなしている。

アウグスチヌスの一方をカトリックが、そしてもう一方をプロテスタントが思想的に継承していると見ている。
カトリックの継承者はトマス・アクィナスで、プロテスタントの継承者はアンセルムスで、アンセルムスの系譜の先に神秘主義者としてのボナベントゥーラを見ていて、彼に両者を超えた一致の原点を託している。

それは理解しやすいように単純化されていて、説得力も備えているが故に、考えさせられるのであるが、このような図式がプロテスタントに受け入れられるのであろうか。

印具氏の理解の中では、アンセルムスとボナベントゥーラというプロテスタント的信仰系譜がアウグスチヌスの純粋な信仰形態の伝統として捉えられていて、それがカトリックに優先すると理解されているのであろうか。確かに、ジルソンはトマスとボナベントゥーラの体系は違うが、両者を共に認めている。

しかし、プロテスタントの精神というものは、キリスト教の伝統の中から純粋なヘブライ思想を抽出することではないのだろうか。と言うのは、既にアウグスチヌスの中にユダヤ思想とギリシャ思想の混合が見られ、トマスにおいても同様であるが、プロテスタントは、このような混合の解体が狙いであり、そこで、純粋なユダヤ-キリスト教の伝統に帰りたいと願っているのではないだろうか。

このような発想は、残念ながら、印具氏の著書にはなく、逆に、ギリシャ思想の立場・主張を当然容認すべきものとしている。これも一つの論争点なのではないのだろうか。

宗教改革は、ユダヤ-キリスト教の伝統とギリシャの伝統の混合(歴史的中世)を、二つに分離して、一方はプロテスタント、一方は人文主義の伝統として二つの流れにしたということではないのだろうか。この両者は原理的には全く対立しているけれど、時に、混合されて解釈される。

ただ、いま、日本にあって、教会の一致の原理を考えていくのであれば、歴史的中世を構成したギリシャの要素を、そのまま認めていくのか、という問いがあってもいいと思う。それであれば、歴史的中世に戻ることを意味しないだろうか。別の要素で、新しい総合を志向した方が意味があるのではないだろうか。

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