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2008年6月29日 (日)

経験と我

「われあって経験あるにあらず、経験あってわれあり」(『善の研究』)。この言葉に、倉田百三は涙を流したという。ところで、この言葉は、どういう意味なのだろう。

後者の経験は、キリスト者であれば、新生経験と解釈すれば、よく分かるのではないだろうか。仏教でも、大死一番という言葉がある。それは身心脱落、脱落身心を呼ぶ。後者の身心は、前者の身心ではないのである。

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