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2008年6月12日 (木)

哲学

バルト神学が優勢であったころ、哲学や自然神学が否定的に見られていた。
某大学哲学科に在籍していた私は、価値観に関して、何か場違いの所にいるようにも思った。
しかし、哲学も自然神学も相対的のものとして考えれば、その限りでは有用と思う。
哲学は最終的には神を問うのであろう。それは形而上学そして自然神学を生み出すかも知れない。それらを啓示と対立するものとして二者択一的に考える必要はないのではないだろうか。
相対者が絶対を主張すれば、批判は当然だが、相対者が相対であるなら、それでよいと思う。その中で対話の輪が広がるのではないだろうか。

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