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2008年6月15日 (日)

死を覚えよ

中世の標語に「死を覚えよ」があった。

人間にとって死ぬことは大切なことだ。
生きることも大切だが、死ぬことも大切なことだ。

死ぬことは悟りにつながっている。
死は神の罰であるが、その罰が現実化しなければ、
人間は悟りに至ることは出来ないという構造になっている。

しかし、もちろん、自殺を勧めているのではない。
死をニヒリズム、あるいは絶望と言い換えてもいい。

死ぬことを意識すること。
その、人間の限界の意識化の中で、福音の宣教は、なされなければならない。

その意味では、福音の宣教とは危険なことである。
人間の限界を意識化、現実化するからである。

その中で、確かに救われる人もいるだろう。
しかし、皆がそうだろうか。

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コメント

「自分を知ることが神を視ること」と謂うカルヴァンの思想は、死を知り〈人間の限界〉を認め生活することが信仰であることを語っているように想います。

投稿: 桜乃章 哀月 | 2009年10月22日 (木) 02時26分

ジャン・カルヴァンの主著『キリスト教綱要』は第1篇「創造主なる神を認識することについて」になっていますが、その中で、第1章「神を知る知識と われわれ自身を知る知識とは 結び合ったことがらである。また どのようにして このふたつは ひとつになっているか」という題で、そこに「自己自身を知ることなしには 神を知ることはできない」「神を知ることなしには 自己自身を知ることはできない」の二つの命題が取り上げられています。

要するに、自分探しは神において成り立つというものです。しかし、自分探しに熱心な人たちが、どれほど神探求に熱心なのか疑問でしょう。この点からの宣教もありうるのではないかと思われますが、いかがでしょうか。自分探しは、求道心の表明かも知れません。

投稿: | 2009年10月23日 (金) 14時59分

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