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2008年6月10日 (火)

神学

神学を広義に解釈すれば、人はみな何かのかたちで「神学している」と言える。

「神学」(Theo-logy)は2つのギリシャ語からできている。神をあらわすセオス(theos)と、ことばとか合理性をあらわすロゴス(logos)の2つである。したがって神学とは神に関するロゴスであり合理的な思索である。「神」ということばを、正確に定義づけることは不可能に近いが、究極的なもの、一切のものの根源、最高の価値、と考えられるものを示すのに用いられるのが普通のようである。神とは、人生の目的または目標と考えるにふさわしいかたのことである。こういうように考えてくると、神学を否定して人生を考えることは不可能になってくる。
(「現代キリスト教神学入門」W・E・ホーダーン著、布施涛雄訳、日本キリスト教団出版局、10頁)

そこでは、「神学を否定して人生を考えることは不可能」と言われている。であれば、それらの諸「神学」の言説の検証が、一つの宣教にもなるのではないだろうか。

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