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2008年7月16日 (水)

教会観

「かつてシュライエルマッヘルが「カトリシズムは個人のキリストとの関係を、彼の教会との関係に依存せしむるに反し、プロテスタンチズムは個人の教会との関係を、彼のキリストとの関係に由らしむ」と言ったのは正しい」(講談社学術文庫『カトリックの信仰』岩下壮一著、638頁)

同感である。

カトリックでは、自らの可見的教会を使徒継承として、受肉の継続して重視するけれど、そのような信仰はプロテスタントにはないだろう。そのような「教会の信仰」は不可見的教会に移されているのだろう。そして、可見的教会は不可見的教会の部分として見ているように思う。

カトリックが、可見的教会への信仰を要求する時、なかなか困難が生まれるかも知れない。米国などで、聖職者の「罪」が報道されている。その時、それでも教会を信ぜよというには、アウグスチヌスのドナティスト論争において、「それでも教会を」といった、現実の教会を超えた何かへの信仰が要求されるかも知れない。

現実の可見的教会を、カトリックの要求する教会観にまで同一視するには、聖職者たちには過大の要求なのではないだろうか。

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