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2008年7月 8日 (火)

大志と野心

大志とは 野心の聖化 原文に
 聖はあれども その意を知らず

野心また なければ困る マーチ聞き
 我を励ます 野心生まれず

我が内に 野心なくとも その求め
 外には多し 課題深刻

大志とは、「少年よ、大志を抱け」の大志ですが、そのあとに、聖書の信仰の言葉があったようです。

野心とは、内なる罪を原因として現れるものかも知れません。であれば、罪を許されるということは、そういう野心が消えることかも知れません。しかし、やはり、人として生きる以上は「野心的」に生きたいものです。
外の世界には、課題は多く、深刻です。その関係の中に身を置けば、人は野心的にならざるを得ないと思います。しかし、それは、分裂をもたらす野心ではなくて、どこか湿り気のある人間関係の中で、乾いた人間関係の修復と共に、前進していくものと思います。

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コメント

「Boys be ambitious」(少年よ、大志を抱け)は、実は「Boys be ambitious in God」だったとも言われている。
「少年よ、大志を抱け」は、実は、そのあとに、「キリストによって」とか「神によって」という言葉が続いていたらしい。あるいは「キリストと共に」かも知れない。

投稿: | 2008年7月 8日 (火) 20時27分

例えば、アブラハム・カイパーは、主著『カルヴィニズム』の中で、こんなことを言っているという。

「アレクサンダーやアウグストやナポレオン等が、世界帝国の思想に酔った事自身が誤っていたのではなく、彼らが罪の力が人類の有機的一致を妨げている事実を顧みなかったことが、間違いだったのだといっています」
(『カルヴィニズム概論』岡田稔著、小峯書店、69頁)

投稿: | 2008年7月 9日 (水) 10時59分

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