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2008年8月15日 (金)

み国

主の祈り  み国求めよ  それはいつ
  聖霊降る  その時もまた

帝国で  迫害終わる  その時も
  み国到来  思う人らも

千年の  王国ありと  言われるが
  それもみ国か  思うもよしと

再臨も  み国到来  しるしなる
  王国の前  後を問わずに

内村の  臨終祈り  それもまた
  宇宙完成  そこにみ国も

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コメント

「宇宙の完成を祈る」という内村の祈りは継承されていかねばと思う。

そこには、何事かの行為を促すものが隠されているようでもある。み国の到来には、ただ待つという姿勢、宇宙完成には、そのために何かをしようという動機が意味されているかも知れない。信仰の受動性には、新生が、そして、能動性には聖化が対応しているとするならば、信仰には、受動性と能動性が含まれる。それらは区別されつつ、互いに関係しているというものであろう。

「宇宙の完成」の理念には、環境問題の解決も含まれるだろう。福音宣教が、人の魂の救いを目指すものという考え方を否定はしないが、それに限ると、環境や他の被造物の救いは関係なくなるかも知れない。もちろん、そうではないのだけれど、「宇宙の完成」の理念には、それらすべての「救い」にまで及ぶ究極性が語られていると思う。

投稿: | 2008年8月15日 (金) 14時38分

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