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2008年8月 5日 (火)

数独

7月のある日、近くの100円ショップで、『脳力を鍛える 総合・数字パズル』という小さな冊子を買った。そこに、数独の問題がいくつか、あった。やってみて解けた。その中で、これは、解答がある限り、必ず解ける問題であることが分かった。小学生にでも解ける問題であることが分かった。パズルというものは、解けると分かると、興味が湧いてくるものである。

近くの書店で、数独の本を一冊買った。解いてみた。ほとんど解けるのである。現在は初級であるが、中級・上級にも挑戦していこうと思う。

そのうち、この数独というものが、いろいろなことを教えてくれることが分かった。生き方を教えてくれるようでもあった。宗教にも関係しているようにも思った。

数独に 罪思うなり 一つだに
 違えば全部 おじゃんなりけり

「なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。」1(ヤコブの手紙2・10)

数独を完成するには、全部、数の場所が正しくなければならない。一個所でも違っていれば、おじゃんである。

マンダラの 模様に見える 数独に
 信仰極意 隠されている

数独の模様を見て、どこかで見たように思った。マンダラ手帳であった。数もマンダラ手帳と同じだ。

マンダラは宇宙であろうか。その中の数字は、被造物、個物であろうか。1から9までの数字が入る。0はない。そこには、何か意味深なものを感じる。

見た目には、雑然としていて「法則性」などないように見える。しかし、数独の「規則」を適用すれば、そこには一つの「法則」の存在を確認することができる。宇宙には「法則」があるのだ。そんな思いを、このパズルに取り組む中で思うことも出来るかも知れない。そう実感することは大切ではないだろうか。

それから問題解決のためには、簡単なことから始めることも、教えられる。マス目には、可能な数字を挿入する。そんな単純な、地味な作業を続ける。そして、全体を観察する。そして、発見がある。発見は、マス目の中の数字の不要なものを削除することを促す。この削除作業も大切なことだ。それは、次の発見を容易にするからである。最近は、「捨てる」ことも大切と言われている。

こんな単純な作業を積み上げていけば、やがては完成する。

数独は、小学生にでもできる。しかし、その意味を考えてみると、奥深いものを感じる。

一つの数が確定すれば、次々に別の数も確定していく。あたかも、仏教の縁起の教えのように。その意味でも、奥深いものを感じる。

研究者 頭はあれど 仕事なし
 数独をして 気分味わう

数独は研究者気分を味わわせてくれると思う。

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コメント

一つの解は、一つの悟り。一つの悟りがあれば、それは広がり、最後の解にまで、至りつく。

伝道とは、それでいいのではないだろうか。救いを受ける人を、こちらで勝手に決めてしまって、そのために祈り続ける人もいるだろうが、相手もまた、自由意志を持っている。未知の人たちが、メッセージを受け入れるかも知れない。

聖霊の働きに導く神の言葉は語られ、聞かれなければならないが、その場においても、人間の意志は自由である。そして、聖霊の自由もある。

悟りは、救いの体験かも知れない。それを語ることが証しであれば、人はただ、証しをすることができるだけである。

投稿: | 2008年8月 6日 (水) 00時07分

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