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2008年11月30日 (日)

予約数字

数独で行き詰った時、予約数字に注目し、最小のマス三つで、数字三つが予約される場合を探すといい。

最小のマスに予約数字が二つの場合は注目すべきである。その二つの数字が二つのマスで同じ場合には、それ以外のマスにある同じ数字は排除できる。これは簡単な処理である。もちろん、タテ列、ヨコ列、3×3マスの中で、処理されなければならない。

予約数字が三つになると、選定が難しくなるかも知れない。しかし、予約数字が二つの場合をいくつか取り上げていく時に、その中に一つ、予約数字が三つの場合が出てくる可能性がある。このような場合(三つのマスで数字三つを予約する)を見つけられれば、そのあとは、消去作業がどんどん、はかどるということになる。

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2008年11月21日 (金)

ある政治学者の信仰

姜尚中氏はテレビでよくお目にかかる政治学者。東大で教えている。集英社文庫『在日』の著者でもある。著者はキリスト者である。これまで、この人によるマックス・ウェーバーに関する本も見たことがあるが、キリスト教信仰を持っておられるとは思わなかった。有名人で、キリスト教に触れている人は多い。当方が知らないだけである。

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2008年11月14日 (金)

わが心  荒れれば眼(まなこ)  外に向き
悪さを為して  危機を伝えん

わが心  平安なれば  いつまでも
  ここにとどまり  楽しみの中

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2008年11月12日 (水)

『日本思想史』に論文

季刊『日本思想史 No.72』(日本思想史懇話会編集、ぺりかん社、2008年)に、吉満義彦に関する論文が掲載されています。タイトルは「吉満義彦の「近代日本カトリシズム」」で、筆者は鶴岡賀雄・東京大学教授。

それによると、吉満の近代批判の方法は、内在的超越であり、超越的内在ではないとのこと。そして、岩下もまた、内在的超越の方法を示唆しているといいいます。現代を歴史的中世に戻すのではなくて、近代を通り、その中から、中世の永遠的要素に戻る道を提唱しているのだということでした。マリタンは、デカルト、ルター、ルソーへの批判を書きましたが、これもまた、近代に対する内在的超越の道による批判なのかも知れません。ただ、読者の中には、それが超越的内在の批判として映るかも知れません。

「新しい中世」という言葉については、104頁の注に、こう書かれています。

「「新しい中世」という言い方は、ベルジャーエフやドーソンによって唱えられ、近代西欧文明への批判を中世キリスト教文化への再評価と結びつける歴史哲学的スローガンとして当時一定の反響を呼んでいた」

吉満・読書会などでは、こういう論文を取り上げるのもいいかも知れません。現代における関心のありかを如実に示しているからです。

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2008年11月11日 (火)

聖霊降臨運動

『聖霊降臨運動』(エドワード・オコーナー著、小林珍雄訳、エンデルレ書店)という本がある。副題には「カトリック教会における」とある。1976年に出た本で、32年前の本である。「聖霊のバプテスマ」とか、「異言」とか、ペンテコステの信仰の復興は、プロテスタントの教会の中で、以前、盛んであった。その流れの中で、聖霊派という言葉も生まれ、福音派との関係が、いくらか緊張した時もあった。しかし、今は、和解の空気が生まれて、共に、日本のプロテスタント宣教を担う方向で協力関係が育っているようである。

さて、『聖霊降臨運動』に、こんな個所がある。

「聖霊降臨運動は、たしかに、われわれの宗教実践に定着し慣習となった思想・態度・動作のある型を破ったという意味で、新しくなじみの淡いものである。しかし前章にもふれたようにこれらの型は、キリスト教霊性の真の伝統を示すものではなく、凡人に合わせたものである。それは福音と世界との妥協の結果なのである。こうして、祈りを唱え典礼を執行する機械的な方法、多くの司祭事務所で行われている商法的活動、ミサに心をこめずあづかることなど、これらは維持されるべき生活法ではなく、活力が再び自由に流れるために、ぬぎすてられるべき死んだ甲殻にすぎないのである」(173頁)

これはカトリック教会について書かれたものである。そして、「宗教実践に定着し慣習となった思想・態度・動作のある型」が「凡人に合わせたもの」であり、「福音と世界との妥協の結果」とある。こういう一面が、この教会にはあるのだろう、と思う。あのローマ帝国の国教となってからの、大衆向けの宗教実践の提示の中には、「凡人向け」「妥協の結果」といった面があるのではないだろうか。しかし、それは、全部がそうだというのではなく、だから「ある型」というのであろう。しかし、興味ある指摘と思った。

さて、カトリック教会の中における聖霊降臨運動は、現実のものであるとは言われていたが、資料や文献がなくて、関心はプロテスタントの運動に偏っていたが、これは、少ない文献の一つであると思う。それも、貴重な信頼できるものであろう。私が、これまで読んだ文献では、どれも、この運動に好意的であり、真っ向から批判しているものはなかった。もし、全否定するとすれば、コリント書における聖霊の賜物の記事を、どう読むのか、それが問われるであろう。そして、「今、異言がない」とすれば、そして、「聖書の真実を守ろう」とすれば、そこには聖書の解釈によって、今の現実を説明するほかないであろう。しかし、異言はじめ、聖霊の賜物は、今もある、という見解が正しいように思われる。

しかし、あの聖書の書かれている「聖霊の賜物」が、今も「ある」としたら、そこでは、どういう解釈がありうるのだろうか。

「この運動に情熱的にうちこんでいる人々は、本当のキリスト教はこの運動ではじまるとさえ考える傾向がある。暗黒時代は、コンスタンチヌス大帝(306-337)から現代(聖霊降臨の時代)まで及び、ただその間微光が短期間かがやいただけだと確信している人さえいる」(173-174頁)

コンスタンチヌス大帝の時代、国教化は、キリスト教の勝利を意味すると考えられているかも知れないが、それは暗黒時代の最初という見方もあるというのだ。中世の暗黒時代の幕開けが国教化ということなのだろう。異なる中世観がある。

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2008年11月 4日 (火)

アウグスチヌスのこと

「アウグスチヌスはプロテスタント側からは宗教改革思想の先駆者の一人と見られている。それは、ご自身の選びたもうた者を必ず救いたもう神の絶対主権による恵みの結果として、人間が原罪から救われるということを強調しているからである。しかし、人間がどういうふうに救われるかについての議論について、アウグスチヌスは、見える制度としての教会と、その信条と礼典と伝道とをあまりにも強調しているので、ローマ教会はかれをローマ・カトリック主義の父と見ている。かれがこのように強調したのは、一方には、ペラギウス派の主張を、他方にはドナトゥス派の主張を破るためであったことを心に留めるべきであろう。聖書の部分を解釈するのに、聖書全体の主張を考慮しなければならないというかれの主張は、教会にとって永久的価値のある原理となっている。
 これらの永久的功績があるにもかかわらず、アウグスチヌスはキリスト教の思潮のなかへ、いくつかの過誤を持ち込んだ。かれは煉獄の教義と、それにともなうすべての害悪とを発展させるのに力があった。バプテスマと、聖餐式との二礼典の価値を重んじたかれの見方の論理的な結果として、バプテスマによる更正と聖餐式による恵みとが強調された。
アウグスチヌスのこうした協調のゆえに、キリスト教会にとっての彼の重要性を無視すべきではない。パウロとルターとの間において、教会には、アウグスチヌス以上に偉大な道徳上および精神上の人物はいないのである」
(『基督教全史』E.E.ケァンズ著)

「キリスト教へのアウグスチヌスの貢献については、プロテスタント側もローマ・カトリック側も、同じく敬意を払っている」(『基督教全史』E.E.ケァンズ著)

アウグスチヌスをどう見るか。プロテスタントの見方の中では、対ペラギウス論争が重視されて、パウロ以降、絶対他力信仰を強調した人物と見られているのではないだろうか。そして、その絶対他力信仰こそ、パウロの信仰であり、ルターが、それを再び強調したと、そんな脈絡の中で、アウグスチヌス観が形成されているのではないだろうか。

しかし、もう少し、学んでいくと、彼には、対ドナトゥス論争もあり、教会重視の言葉が語られている。そんなところから、プロテスタントの中には、アウグスチヌスを評価すると同時に批判する人たちもいる。

アウグスチヌスは一人の歴史上の人物である。その信仰の中に、プロテスタントとカトリックの両方の要素が混じっているとも言えるかも知れない。

宗教改革で西方教会は分裂したけれど、今は教会一致が模索されている。アウグスチヌスは、その土俵を提供するかも知れない。

ケァンズは、「パウロとルターとの間において、教会には、アウグスチヌス以上に偉大な道徳上および精神上の人物はいないのである」と言うけれど、では、トマス・アクィナスはどうなのか、と思う。しかし、トマスは余りにもカトリック過ぎて、プロテスタントの関心を呼び起こさないのかも知れない。

アウグスチヌスを論じる時、彼の「生活の座」も考慮した方がいいのかも知れない。キリスト教は、既に帝国の国教の時代であった。

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2008年11月 3日 (月)

「吉満義彦を偲ぶ会」について

「吉満義彦を偲ぶ会」が毎年1回、10月、東京・四谷で行われている。昨年、ある雑誌への紹介の誘いがあったが、実現しなかった。しかし、原稿を書いてみた。この会の歴史を、どこかで残しておかないと、という思いもあった。

最近、この会の中で、読書会の提案がされている。今までなかったことで、これまでの参加者たちの怠慢かも知れない。これで新しい動き、発展があれば、喜ばしい。そこで、昨年書いたままにしておいた「歴史」を、ここに残しておきたいと思った。

◇ ◇

 (昨年)10月28日の日曜日、午後2時半から、東京・新宿区若葉のサレジオ会管区長館で、「吉満義彦を偲ぶ会」が行われ、12人が参加した。吉満義彦(1904~1945)は、戦前の著名なカトリック哲学者で、東大卒業後、岩下壮一神父の勧めにより、フランスに渡り、20世紀のトマス思想復興に尽力したジャック・マリタンに師事、帰国後は日本におけるカトリック思想の普及に貢献した。昭和17年の座談会「近代の超克」にも参加して、発言している。
 「偲ぶ会」では、最初に2階の聖堂でのミサがあり、司式者の金子賢之介神父(サレジオ会)は、吉満の遺徳を覚えて集まる人たちが今もいるという事実の重みを語った。
 そのあと、1階の会議室に移り、フランスのカトリック哲学者ジャック・マリタンの信仰思想の報告などがあった。発表者は、フランスで雑誌の発行などを通して、吉満義彦の紹介も含め、カトリック思想の研究・発表をしているジュヌビエーブ・リーさん。また、マリタンの妻ライサの著書(講談社学術文庫『あるカトリック女性思想家の回想録―大いなる友情』、『恩寵のうちなる冒険』ドン・ボスコ社)を翻訳した水波純子さんは、マリタン夫妻が影響を受けた作家レオン・ブロアを紹介した。
 会は予定時間を1時間以上も超えて、発表者への質問が続いた。
 この「吉満義彦を偲ぶ会」は吉満の死去した10月23日(1945年)に合わせて、毎年1回、主に10月に行われてきた。当初の主宰者は、当時の上智大学教授、垣花秀武氏を中心に、吉満義彦の親族の人たちであった。吉満をカトリック信仰に導いた岩下壮一神父の没後50年を覚えて、1989年12月3日、当時の上智会館(主に学生寮)で、「岩下神父を偲ぶ会」が行われたが、その時、既に、上智大学の構内で、吉満義彦を覚えての会が何回か行われていた。従って、もう約20年の歴史を持つことになる。
 89年の「岩下神父を偲ぶ会」では、垣花氏は岩下神父の「学統」について語ったが、その中に吉満義彦、小松茂神父、そして、今回、発表を行ったジュヌビエーブ・リーさんの名前もあった。その後、垣花氏は、港区・六本木の国際文化会館に「吉満義彦を偲ぶ会」の現在の常連メンバーを集めた。メンバーは講談社の吉満全集の編集に携わった人、弁護士志望の青年、大学教師、元新聞記者などであった。
 会は、最初、「岩下神父を偲ぶ会」同様、上智会館2階のアロイジオ聖堂でミサを捧げ、そのあと、歓談のひと時を持っていた。そのうち、常連メンバーの紹介で、吉満の業績を高く評価している金子神父に司式を依頼することになり、会場も上智会館からサレジオ会管区長館に移動した。会場移動後も、最初は垣花夫妻も毎回参加されていたが、垣花氏が病に倒れられてからは、常連4人だけの時もあり、参加者も少なくなった。それでも毎年1回の会は今も続いており、カトリック思想に関心を持つ人たち約10人が集まり、情報交換、学びのひと時を持っている。

◇ ◇

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