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2008年11月 4日 (火)

アウグスチヌスのこと

「アウグスチヌスはプロテスタント側からは宗教改革思想の先駆者の一人と見られている。それは、ご自身の選びたもうた者を必ず救いたもう神の絶対主権による恵みの結果として、人間が原罪から救われるということを強調しているからである。しかし、人間がどういうふうに救われるかについての議論について、アウグスチヌスは、見える制度としての教会と、その信条と礼典と伝道とをあまりにも強調しているので、ローマ教会はかれをローマ・カトリック主義の父と見ている。かれがこのように強調したのは、一方には、ペラギウス派の主張を、他方にはドナトゥス派の主張を破るためであったことを心に留めるべきであろう。聖書の部分を解釈するのに、聖書全体の主張を考慮しなければならないというかれの主張は、教会にとって永久的価値のある原理となっている。
 これらの永久的功績があるにもかかわらず、アウグスチヌスはキリスト教の思潮のなかへ、いくつかの過誤を持ち込んだ。かれは煉獄の教義と、それにともなうすべての害悪とを発展させるのに力があった。バプテスマと、聖餐式との二礼典の価値を重んじたかれの見方の論理的な結果として、バプテスマによる更正と聖餐式による恵みとが強調された。
アウグスチヌスのこうした協調のゆえに、キリスト教会にとっての彼の重要性を無視すべきではない。パウロとルターとの間において、教会には、アウグスチヌス以上に偉大な道徳上および精神上の人物はいないのである」
(『基督教全史』E.E.ケァンズ著)

「キリスト教へのアウグスチヌスの貢献については、プロテスタント側もローマ・カトリック側も、同じく敬意を払っている」(『基督教全史』E.E.ケァンズ著)

アウグスチヌスをどう見るか。プロテスタントの見方の中では、対ペラギウス論争が重視されて、パウロ以降、絶対他力信仰を強調した人物と見られているのではないだろうか。そして、その絶対他力信仰こそ、パウロの信仰であり、ルターが、それを再び強調したと、そんな脈絡の中で、アウグスチヌス観が形成されているのではないだろうか。

しかし、もう少し、学んでいくと、彼には、対ドナトゥス論争もあり、教会重視の言葉が語られている。そんなところから、プロテスタントの中には、アウグスチヌスを評価すると同時に批判する人たちもいる。

アウグスチヌスは一人の歴史上の人物である。その信仰の中に、プロテスタントとカトリックの両方の要素が混じっているとも言えるかも知れない。

宗教改革で西方教会は分裂したけれど、今は教会一致が模索されている。アウグスチヌスは、その土俵を提供するかも知れない。

ケァンズは、「パウロとルターとの間において、教会には、アウグスチヌス以上に偉大な道徳上および精神上の人物はいないのである」と言うけれど、では、トマス・アクィナスはどうなのか、と思う。しかし、トマスは余りにもカトリック過ぎて、プロテスタントの関心を呼び起こさないのかも知れない。

アウグスチヌスを論じる時、彼の「生活の座」も考慮した方がいいのかも知れない。キリスト教は、既に帝国の国教の時代であった。

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