« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月28日 (日)

異常社会

死を望む 故の犯罪 異常なる
 現代を生く 我らなるかな

| | コメント (0)

変革

年の瀬に 変革望む 新年に
 世紀を変える 魂となれ

| | コメント (0)

2008年12月17日 (水)

挑戦

現在、『数独通信』(Vol.12、08年季刊冬号)が発売されています。その中に、数独問題が84問、紹介されています。その中の2問を除いて、一応、全部、ある程度、納得のいく仕方で解答を得ることができました。

中でも76問は、一番、難しかった問題でした。一応、理屈をつけて、予想数字の消去を続けることができました。こんな理屈を見つけることが、このパズルの面白さかも知れません。

数独は易しい問題もあるのですが、中には、難しい問題もあります。しかし、難しい問題にぶつかって、考え続けることが大切かも知れません。そのうちに、理屈が見つかるかも知れません。この発見の体験は、なかなか得がたいものと思います。

| | コメント (1)

2008年12月15日 (月)

数独必勝法

数独が問題として適正であれば、解答に単純な方法で導かれるはずです。

私は、枚挙消去法を提唱してきました。枚挙の方は誰にでもできると思います。そして、消去の方も難しいものではありません。しかし、その過程で、最小マスの中に書き込んだ「予約数字」が多すぎて消去できない場合が訪れることがあります。その時、行き詰まります。さて、どうしたらいいのか。

その時は、「予約数字」に着目します。枚挙の中での数字は、厳密には予約数字を含む複数の数字です。それを絞り込むには、本当の予約数字を確定していくことです。それは、タテ列、ヨコ列、3×3マスの、どの場合でもいいのですが、厳密な予約数字は、それぞれに二つに限られる場合を指すのだと思います。

そのような数字を見つけたら、最小マスの中に枚挙した予約数字をマルで囲みます。
そして、そのようなマルの数字が二つ揃った時には、その最小マスにある、それ以外の数字を消去することができます。

要するに、最小マスに枚挙した、厳密な予約数字は二つのみです。予約数字が三つという可能性はないのです。

こういう単純な作業を繰り返していけば、数独は、やがて解答を見いだすことができると思います。

最小マスの「予約数字」の消去が前進していけば、活路が開かれるはずです。

| | コメント (9)

2008年12月14日 (日)

人間の歴史

罪ありて 歴史始まる 悲喜劇の
 その終焉を 今に感じて
 
今日も無事 それを喜ぶ それでよい
 永遠も無事 同じ反復
 
◇無事ということは、あるいは退屈につながるかも知れません。無事が退屈である時、それは要注意かも知れません。                   

| | コメント (0)

わが心 荒れれば 眼(まなこ)外に向き
 悪さを為して 危機を伝えん
 
わが心 平安なれば いつまでも
 ここにとどまり 楽しみ満ちて
 
◇この危機は、自分の危機なのでしょう。
 

| | コメント (0)

2008年12月 8日 (月)

文明の構想

「新しき中世」とは、新しい文明の構想である。

思うに、哲学の原点は、やはりソクラテスなのだろう。「汝自身を知れ」という言葉が、哲学の原点なのだと、私は思う。

有能な弟子にプラトンがいた。孫弟子にはアリストテレスがいた。プラトンは主に精神世界に、アリストテレスは主に自然世界に、偉大な師の動機を展開していった。しかし、それらは、人間の限界の中において、という制限があった。「人間の限界」という制約を超えるものが、やがて、このギリシャ世界に入ってきた。

目を転じると、ユダヤ教の世界にイエスが誕生して、キリスト教が出来た。啓示という、人間の限界の外からの情報が加えられた。キリスト教の世界性はギリシャ世界との交渉を生み出した。そこで登場したのが中世であった。

従って、中世とはギリシャとヘブライの交渉の結果であった。そこでは、ヘブライの伝統が優位を占めていた。それが政治権力と結びついて、中世が生まれた。いつしか、神優位の中で、「汝自身を知れ」という哲学の原点が弱められていったのかも知れない。宗教改革におけるルターの信仰発見は、ある意味では、「汝自身を知れ」の哲学原点と触れ合う点でもあった。

カルバンの「キリスト教綱要」には、神を知ることは自分を知ることでもある、という言葉があったと思う。だから、哲学の原点にある欲求としての「汝自身を知れ」と、信仰とは矛盾しないのである。

聖と俗の「癒着」した中世の中で、その瓦解の時が来た。ルネサンス・宗教改革の時であった。その世俗的世界のシステムの崩壊が、一方で近世の夜明けの力を生み出したのであろう。カトリック世界にはイエズス会が登場して、プロテスタント勢力との対立の中で、世界宣教に乗り出していったのだろう。こうして、日本にもキリスト教が伝えられた。だから、当時の日本に伝えられたキリスト教は西洋政治勢力との濃密な関係の中で展開したのであって、教勢が短期間に伸びていったのも不思議ではない。世俗的動機が宗教的動機と混ざり合っていたから、中には純粋な信仰的動機があっても、全体では世俗的な動機を排除できなかったのだろう。だから、禁教、殉教という歴史が始まったのだろう。

西洋に近世、そして近代が歴史を刻んでいったが、その中で日本も開国の時を迎えた。そして、日本にも近代が始まった。そこではやはり、プロテスタントが優位に活動を展開していった。

ケーベルが来日し、その弟子、岩下壮一が司祭となって帰国し、中世再考の時が来た。岩下の弟子、吉満が学生寮の舎監の時、遠藤周作が、そこにいた。そこでも「中世論議」の時があった。遠藤は、日本には西洋のような中世はない、と言った。その思いは、今でも古くはないだろう。吉満は、いや、中世を作るんだ、と言った。きっと、遠藤には、その言葉が分からなかったのではないだろうか。しかし、この言葉の中には、吉満の「中世」観が含意されている。歴史的中世の再現を目指すのではなくて、信仰と理性との新しい関係への促しがあったのではないだろうか。その意味では、「新しき中世」とは、吉満の思想活動の根本動機とも言えるかも知れない。そして、信仰と理性との関係という見方をするのであれば、その動機は今でも通用するし、緊急の課題とも言えるかも知れない。

| | コメント (1)

2008年12月 2日 (火)

列福式

11月24日、長崎で「ペトロ岐部と百八十七殉教者」の列福式が行われた。その直前、日本二十六聖人記念館前館長の結城了悟氏が亡くなられた。結城神父は、この列福にも尽力し、キリシタン研究でも名が知られていた。自分の使命が終わったという思いがあったのだろうか。

昔、あるプロテスタントの牧師が、聖人とか福者とか、死者を教会が「いじる」ことに疑問を感じていると言ったことがあった。批判の思いが、その言葉に隠されていたと思う。

誰が救われるのか、そして、救われた人の間で、なぜ、「階級」の区別があるのか、そんなことを、どうして教会が「出来る」のか。そんな思いは、今でもあるかも知れない。

そんな時、教会は究極な面と、手段の面と二つの側面を持つのだと、私は思う。そして、その二つを混同する時、上の疑問が出てくるのだろうと思う。ということは、「手段としての教会」の側面に関して、死者を「いじる」ことに意味があるのではないだろうか、と問うのであれば、それは大いに意味のあることと思う。

時代は秀吉の時代にまで遡る。秀吉の時代が現代に甦る。それは列福の効果であろう。その時代の少し前、1549年に、キリシタン、キリスト教が日本に入り、当時は大いに栄えた。しかし、秀吉は禁教を命令した。列福は、当然、この禁教に「なぜ」という問いを誘発させる。禁教がなければ、殉教もないし、従って、列福もない。すべて、秀吉の禁教から始まるのである。だから、列福の原因の一つは、あるいは「縁」かも知れないが、それは秀吉の禁教令である。

その禁教の原因については、いろいろと書かれている。当時のキリスト教は政教分離ではなくて、政教一致的な要素が強かった。長崎で大名がイエズス会に土地を寄進した。これなど、大いに問題のある行為ではないだろうか。これにより、その土地は、なお栄えるかも知れないが、同時に外国勢力の基地になり、天下統一を求めてきた秀吉にとっては、おもしろくないだろう。天下統一した場所の中に、自分の勢力の届かない場所が出来るのであるから。そして、ここが基地になり、キリシタンの外国勢力が自分を攻めてくると考えたかも知れない。

日本での、列福式は最初のことだという。これは、殉教者たちの信仰を称える意味だけではないと思う。当時の宣教の姿勢が正しかったのかどうかの反省も含むだろう、と思う。

しかし、それだけではない。列福を通して、日本の教会の過去の現実が世界の知らされるという意味もある。しかも、それが未来にも「消されない」で、覚えられ続けるという効果もある。全世界に、未来永劫に、覚えられる。これは、大いに意味のあることではないだろうか。列福は過去の、殉教者たちの信仰を、現代において称えるだけの意味を持つのではない。全世界に、未来永劫にわたって覚えられるという意味もある。その後者の意味を覚える時、私は、本当に列福を感謝したいと思う。日本の教会は、これにより静かに変わっていくであろう。日本のキリスト教宣教が1549年の昔であったことを、もう一度、思い返すことが出来るであろう。そして、教会の歴史全体に対する評価を再度、問われているのだと思う。

| | コメント (0)

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »