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2008年12月 2日 (火)

列福式

11月24日、長崎で「ペトロ岐部と百八十七殉教者」の列福式が行われた。その直前、日本二十六聖人記念館前館長の結城了悟氏が亡くなられた。結城神父は、この列福にも尽力し、キリシタン研究でも名が知られていた。自分の使命が終わったという思いがあったのだろうか。

昔、あるプロテスタントの牧師が、聖人とか福者とか、死者を教会が「いじる」ことに疑問を感じていると言ったことがあった。批判の思いが、その言葉に隠されていたと思う。

誰が救われるのか、そして、救われた人の間で、なぜ、「階級」の区別があるのか、そんなことを、どうして教会が「出来る」のか。そんな思いは、今でもあるかも知れない。

そんな時、教会は究極な面と、手段の面と二つの側面を持つのだと、私は思う。そして、その二つを混同する時、上の疑問が出てくるのだろうと思う。ということは、「手段としての教会」の側面に関して、死者を「いじる」ことに意味があるのではないだろうか、と問うのであれば、それは大いに意味のあることと思う。

時代は秀吉の時代にまで遡る。秀吉の時代が現代に甦る。それは列福の効果であろう。その時代の少し前、1549年に、キリシタン、キリスト教が日本に入り、当時は大いに栄えた。しかし、秀吉は禁教を命令した。列福は、当然、この禁教に「なぜ」という問いを誘発させる。禁教がなければ、殉教もないし、従って、列福もない。すべて、秀吉の禁教から始まるのである。だから、列福の原因の一つは、あるいは「縁」かも知れないが、それは秀吉の禁教令である。

その禁教の原因については、いろいろと書かれている。当時のキリスト教は政教分離ではなくて、政教一致的な要素が強かった。長崎で大名がイエズス会に土地を寄進した。これなど、大いに問題のある行為ではないだろうか。これにより、その土地は、なお栄えるかも知れないが、同時に外国勢力の基地になり、天下統一を求めてきた秀吉にとっては、おもしろくないだろう。天下統一した場所の中に、自分の勢力の届かない場所が出来るのであるから。そして、ここが基地になり、キリシタンの外国勢力が自分を攻めてくると考えたかも知れない。

日本での、列福式は最初のことだという。これは、殉教者たちの信仰を称える意味だけではないと思う。当時の宣教の姿勢が正しかったのかどうかの反省も含むだろう、と思う。

しかし、それだけではない。列福を通して、日本の教会の過去の現実が世界の知らされるという意味もある。しかも、それが未来にも「消されない」で、覚えられ続けるという効果もある。全世界に、未来永劫に、覚えられる。これは、大いに意味のあることではないだろうか。列福は過去の、殉教者たちの信仰を、現代において称えるだけの意味を持つのではない。全世界に、未来永劫にわたって覚えられるという意味もある。その後者の意味を覚える時、私は、本当に列福を感謝したいと思う。日本の教会は、これにより静かに変わっていくであろう。日本のキリスト教宣教が1549年の昔であったことを、もう一度、思い返すことが出来るであろう。そして、教会の歴史全体に対する評価を再度、問われているのだと思う。

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