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2008年12月 8日 (月)

文明の構想

「新しき中世」とは、新しい文明の構想である。

思うに、哲学の原点は、やはりソクラテスなのだろう。「汝自身を知れ」という言葉が、哲学の原点なのだと、私は思う。

有能な弟子にプラトンがいた。孫弟子にはアリストテレスがいた。プラトンは主に精神世界に、アリストテレスは主に自然世界に、偉大な師の動機を展開していった。しかし、それらは、人間の限界の中において、という制限があった。「人間の限界」という制約を超えるものが、やがて、このギリシャ世界に入ってきた。

目を転じると、ユダヤ教の世界にイエスが誕生して、キリスト教が出来た。啓示という、人間の限界の外からの情報が加えられた。キリスト教の世界性はギリシャ世界との交渉を生み出した。そこで登場したのが中世であった。

従って、中世とはギリシャとヘブライの交渉の結果であった。そこでは、ヘブライの伝統が優位を占めていた。それが政治権力と結びついて、中世が生まれた。いつしか、神優位の中で、「汝自身を知れ」という哲学の原点が弱められていったのかも知れない。宗教改革におけるルターの信仰発見は、ある意味では、「汝自身を知れ」の哲学原点と触れ合う点でもあった。

カルバンの「キリスト教綱要」には、神を知ることは自分を知ることでもある、という言葉があったと思う。だから、哲学の原点にある欲求としての「汝自身を知れ」と、信仰とは矛盾しないのである。

聖と俗の「癒着」した中世の中で、その瓦解の時が来た。ルネサンス・宗教改革の時であった。その世俗的世界のシステムの崩壊が、一方で近世の夜明けの力を生み出したのであろう。カトリック世界にはイエズス会が登場して、プロテスタント勢力との対立の中で、世界宣教に乗り出していったのだろう。こうして、日本にもキリスト教が伝えられた。だから、当時の日本に伝えられたキリスト教は西洋政治勢力との濃密な関係の中で展開したのであって、教勢が短期間に伸びていったのも不思議ではない。世俗的動機が宗教的動機と混ざり合っていたから、中には純粋な信仰的動機があっても、全体では世俗的な動機を排除できなかったのだろう。だから、禁教、殉教という歴史が始まったのだろう。

西洋に近世、そして近代が歴史を刻んでいったが、その中で日本も開国の時を迎えた。そして、日本にも近代が始まった。そこではやはり、プロテスタントが優位に活動を展開していった。

ケーベルが来日し、その弟子、岩下壮一が司祭となって帰国し、中世再考の時が来た。岩下の弟子、吉満が学生寮の舎監の時、遠藤周作が、そこにいた。そこでも「中世論議」の時があった。遠藤は、日本には西洋のような中世はない、と言った。その思いは、今でも古くはないだろう。吉満は、いや、中世を作るんだ、と言った。きっと、遠藤には、その言葉が分からなかったのではないだろうか。しかし、この言葉の中には、吉満の「中世」観が含意されている。歴史的中世の再現を目指すのではなくて、信仰と理性との新しい関係への促しがあったのではないだろうか。その意味では、「新しき中世」とは、吉満の思想活動の根本動機とも言えるかも知れない。そして、信仰と理性との関係という見方をするのであれば、その動機は今でも通用するし、緊急の課題とも言えるかも知れない。

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コメント

カルバンの「綱要」の第一篇「創造主なる神を認識することについて」の内容は、第一章「神を知る知識と、われわれ自身を知る知識とは、結び合ったことがらである」をテーマにしていて、「自己自身を知ることなくには、神を知ることはできない」「神を知ることなしには、自己自身を知ることはできない」について、論じている(新教出版社刊、1963年、渡辺信夫訳)。

だから、自分探しの旅と信仰の旅とはつながっているのである。自分の謎を解くために、神を信じることは、ありうることと思う。

しかし、この二つが結びつなかい時、そこには挫折があるだろう。自己(人間)から神への挫折と、神から自己(人間)への挫折である。

投稿: | 2008年12月12日 (金) 15時00分

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