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2009年1月14日 (水)

須賀敦子のこと

1998年に亡くなった須賀敦子というカトリックの女性については、私は余り知りませんでした。いや、全然、知りませんでした。しかし、昨年、神谷光信さんが出された本に『須賀敦子と9人のレリギオ』(神谷光信著、日外選書)があり、ここで取り上げられている別の人物への関心から本を購入し、おまけに須賀という人についても、いくらかの知識が与えられました。

最近、須賀について読んだものに「須賀敦子の足跡 異端者の信仰とその祈願」(若松英輔)という評論があります。若松氏は、第14回三田文学新人賞を受賞された方で、この評論は『三田文学』(2007夏季号、No.90)に掲載されています。

なつかしい名前がたくさん出てきました。エマニュエル・ムーニエという人物については、昔、大学生時代に、図書館で本を読んだ覚えはあるのですが、余り、記憶に残っていませんでした。しかし、マリタンとか、ベルジャーエフとか、気になる人物が登場し、また、当時の様子が描かれていて、断片的知識がいくらか関係づけられたように思います。マリタンは、吉満義彦がフランスで教えを受けた先生でした。

マリタンについては、ルター、デカルト、ルソーについて書いた評論が日本語で読めますが、そのルター論は、どうなんでしょうか。

若松氏の評論は力作と思います。須賀敦子に関心を抱く人は、是非、一読する必要があるでしょう。神谷さんも、既に読んでおられるかも知れません。カトリックの本格的な評論活動が、ここにあると思いました。プロテスタントの中では、こういう作品は、余り紹介されていませんが、カトリックの中では、ここで取り上げられている須賀さんの歩んだ世界は、やはりフォローしていかなくてはならないだろうと思います。

評論は、「たしかにキリスト者としての須賀敦子の研究は緒についたばかりに違いない」という言葉で終わっています。

しかし、一つ、気になるのは、須賀における信仰・思想の環境が、日本ではなく、フランスであり、イタリアであるということです。遠藤周作と同じような、自分に合ったキリスト教を追い求めてきたといっても、日本の人たちに、その作品は、どういう形で受け入れられるのか、それが少し、気になります。遠藤の場合は、題材にキリシタンを選んだので、これは西洋ではなく、まぎれもなく日本の問題でした。

「須賀敦子研究」は、これから、いろいろな人によって展開されていくのでしょうが、日本という場に生きる人たちに、どういうふうに語っていくか、それも課題の一つになるかも知れません。

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