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2009年1月13日 (火)

マルクス主義

「後年、中村光夫は、唐木順三との対談で、その青春時代を振り返って、マルクス主義は単なる「思想」ではなく、一つの「宗教」として自分たちの前に現れたという。
 中村光夫がマルクス主義を「宗教」だというのは、そのドグマが宗教的だったからではない。むしろ、当時多くの青年たちが、その「思想」にささげた情熱が宗教的だったからだ。宗教でないものに、宗教的な情熱を捧げなくてはならなかったというところに、マルクス主義と昭和10年代の青年たちの悲劇がある」
(「越知保夫とその時代」若松英輔、『三田文学』No.89、41頁)

マルクス主義は宗教に対立・敵対していると思っていました。宗教を「民衆の阿片」という、有名な言葉があるのですから。しかし、その宗教性を、ベルジャーエフは徹底的に解明していると思います。だから、マルクス主義が「宗教」として現れたという中村氏の言葉に違和感はありません。むしろ、その宗教性の中に、マルクス主義の本質があるのかも知れないとも、思います。

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コメント

マルクス主義とは何かについては、この評論にも引用されている、井上良雄氏の『戦後教会史と共に』の叙述に、むしろ共感を覚えます。こう書かれています。

「当時において、マルクス主義は、私たちにとって単に社会変革の理論ではなかった。それは、「われらいかに生くべきか」を私たちに教えてくれる倫理的な規範であり、さらには宗教的な何ものかでさえあった。ソヴィエト連邦は神の国のごときものであったし(プロレタリア・メシアイズムという言葉を聞いたこともある)、共産党の活動家たちは神の国の福音の使徒たち、少なくとも宣教者たちであった。しかも、その神の国は近いというのが、彼らの確信であった」

投稿: | 2009年1月13日 (火) 15時55分

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