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2009年1月 9日 (金)

神学の原点

「仏教は、人間の条件を分析することから出発する。これこそ神学にとっても真の出発点でなければならない。--この生ける神学は、単なる形而上学的思弁から出発するのではなく、もともと生きた実存的現実から出発すべきものだからである」(『東西宗教の出会い』本多正昭編、創言社、35頁)

実存的現実が宗教と神学の出発点である。その通りと思う。

新約聖書には、哲学という言葉が出てくる。「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい」(コロサイ2・8)。哲学を余り評価していない言葉であるが、中世において、ギリシャ哲学と出合ったキリスト教が、ともすれば形而上学的思弁に傾いたことは、中世神学、スコラ神学への批判的意識を招いたとはいえないだろうか。

そのような背景を見る時、ルターは実存的であった。しかし、実存的とは、もともと宗教の出発点なのであり、ルターは中世の偏向を正したという一面があるのではないだろうか。聖書が哲学に、警戒感を持っていることを、考えてみてもいいのではないだろうか。

人間の限界の中における、人間のわざとしての哲学があっても、宗教的・超越的現実を認識し、表現する哲学もある。宗教的現実としての新生・聖化は、やはり認識され、表現され、そして伝えられていかなくてはならないだろう。この役割に哲学という言葉が使われることもある。

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