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2009年1月 2日 (金)

絶対無

友「年賀状に「絶対無」という言葉があったけれど、どういう意味?」

私「単なる無は、存在との関係では対立概念だけれど、絶対無というのは、それを超えて、存在の「原因」という一面も持つということだろうか。存在が被造物とすれば、無はそのような存在ではないということ。しかし、絶対無は、そのような存在を生み出すもとになるもの。だから、神を意味することもできる。仏教で、色即是空・空即是色、身心脱落・脱落身心という転換の場に絶対無が現れるのではないだろうか。キリスト教では新生・再生の時ですね」

友「なるほどね。仏教はキリスト教のように超越的存在を、言ってみれば、神を前提にした教えではないというけれど、キリスト教と類似の理解もあるようだね」

私「類似の教えは多いと思いますね。そこに、自分の土俵上での解釈が加わり、その妥当性が問われていく時に、宗教間対話は深まるのだと思う。そういう雰囲気が濃厚に、現代にはありますね。以前は、批判的意識が勝っていて、そういう本も読んだことがあるけれど、今は対話が基調になっているような気がしています」

友「しかし、絶対無なんて書くと、西田幾多郎を思い出しますね。西田を学べ、という意味ですか」

私「それもあります。超越的内在ではなくて、内在的超越の道をとりたいですね。宗教者には、どこかに排他主義があると思います。しかし、それをあからさまに、最初に持ち出しては、原理主義者は喜ぶかも知れないけれど、対話は、その瞬間に成り立たなくなってしまうかも知れませんね。少し謙遜になって、包括主義的理解の中で、他宗教を尊重することも大切と思います」

友「それは妥協の勧めですか?」

私「妥協というのは、途中で探求を切り上げることかも知れません。それでは、それでおしまいですね。そうではなくて、解釈の妥当性を、なお問うということですね。それが他者を理解するということだと思います」

友「そうですか。そこまで年賀状に書くわけにはいかないですからね」

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