« 絶対無 | トップページ | 胸像除幕式 »

2009年1月 4日 (日)

共同図書館

以前、「キリスト新聞」の社説で、「キリスト教図書館」設立の提唱があったと思う。しかし、関心はなかったようだ。

今、カトリック系では、聖三木図書館があり、一般の研究者にも利用が可能になっている。また、宗教図書館では、立正佼成会に佼成図書館があり、こちらも、一般の利用が可能である。

しかし、どちらも、これまでの図書館のスタイルで、会員は借りて読むというだけである。新しい図書館のスタイルを構想してもいいのではないだろうか。

今、個人で所有する図書の利用を考えた時、「共同図書館」があってもいいのではないだろうか。個人の図書のいくらかを、「共同図書館」に提供する。その図書を、他の会員が利用する。図書館の運営は、会員の寄付・会費で行う。要するに、会員が図書館のオーナーになるのである。

オーナーだから、運営への責任とアイデアが求められている。自発性が求められている。単なる利用ではなく、寄贈図書を利用して、それぞれが研究を展開していく。そうすれば、興味を持つ人たちが集まるだろう。議論は深まるのではないだろうか。そこには、新しい、自発的な生涯学習の場ができるかも知れない。

個人で集めた図書は、今ではブックオフなどに売れば、他の人に読まれるという再利用の道が開かれている。しかし、それらは誰の手に渡るか分からないし、自分がもう一度、参照したい時に、手許にないという不便もある。しかし、「共同図書館」に寄贈すれば、いつでも利用できるし、テーマを見つけて、研究会を開いてもいい。

|

« 絶対無 | トップページ | 胸像除幕式 »

コメント

「図書館を造るとなると、建物はどうするのか、また維持費の問題もあって、大変ではないですか」
「いや、そういう発想では、恐らく、うまくいかないでしょう。ハード重視ではなくて、ソフト優先で考えていかないと、と私は思います」
「どういう意味ですか」
「例えば、今、家財などを置くための貸し部屋が多く、あります。それを利用して、そこに本を置くのです。少し、区切りをつけて、誰それの文庫といった表示があってもいいでしょうね。それを、会員が共同で管理すればいいのです。蔵書には、どういうものがあるか、それは、会員に知らせないといけません。そして、それらの本を読んだ会員が、読書会を呼びかけ、自ら、感想を発表していけば、そこで新たな気づきの時があるかも知れません。こういう運動が、共同図書館の命です」
「新しい発想ですね」
「本を読むということは、一種のコミュニケーションですね。昔の人や外国の人とのコミュニケーションが、そこでは可能ですね。しかし、そのコミュニケーションを身近な人たちに広げることも大切ではないでしょうか。一冊の本を媒介にして、コミュニケーションの質を深める、それは、人間を真に育てることにもつながると思います。こういう運動がなければ、読書は本当に人々の魂の糧にはならないかも知れません。だから、共同図書館の構想というものは、建物を作るというのではなくて、読書運動を促すものです」

投稿: | 2009年1月 6日 (火) 18時51分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 絶対無 | トップページ | 胸像除幕式 »