かたつむり
かたつむり 顕微鏡さえ 持てたなら
退屈せずに 生を燃焼
ケーベル先生は、東大退官後の生活を蝸牛(かたつむり)生活と言われた。しかし、その時期の作品によって、われわれは、ケーベル先生の思想の一端に触れることができる。だから、本人の、あるいは自嘲気味に言われたのであろうか、「かたつむり生活」も、我々を益しているのである。
かたつむりの生活は、さぞ、退屈であろうと思う。しかし、神が共におられるのであれば、あの病的な、恐ろしい孤独からは解放されている。感謝である。そして、もう一つ、顕微鏡があれば、あるいは、熱中できる道具があれば、もう言うことなしではないだろうか。
人生とは、このような熱中できる道具があれば、最高であろう。なければ探せばよい。「求めよ、さらば与えられん」(マタイ7・7)
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