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2009年2月15日 (日)

「新しき中世」実行委員

必然の 未来社会を 望み見て
 今何為すべきか 一人なりとも

先達は 内村、賀川 その思い
 預言者がいた この日本にも

「新しき中世」実行委員とは、半分冗談、半分本気です。半分本気の中には、共産主義社会の到来を、共産主義者が信じているような意識があります。それが千年王国かと言われれば、千年王国は、聖霊降臨で来たのではないかという思いが、どこかにあるため、「そうだ」とは言えないでいます。

「千年王国は、聖霊降臨で来た」というのは、少し説明が必要でしょう。千年王国は、ヨハネ黙示録20章に出てきます。「彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した」(4節)とあり、それを指しています。そこで千年王国といいます。

では、それはいつのことなのでしょうか。過去のことでしょうか、それとも未来のことでしょうか。

だいたい、未来のことと考えているのかと思います。しかし、過去のことと考えることも出来ます。フランシスコ会の新約聖書では、注があり、「一千年間、統治するということは、地上における神の国に適用して、ローマの大迫害の終わりの時から、この世の終りにおけるキリストの再臨の時までの期間を指すものであろう」(963頁)とあります。そうすると、千年王国は、聖霊降臨で来たのではなくて、ローマ帝国でのキリスト教の公認、国教化のあたりから始まったという解釈なのだろうと思います。

黙示録では、千年王国の前に、殉教者の復活が記されています。それは「殉教者の復活は、ローマ時代の大迫害の後、教会が自由となり、新生することを象徴するものである」と、フランシスコ会の新約聖書では、注をつけています(963頁)。

いわゆるコンスタンティヌス体制が千年王国なのだという解釈でしょうか。そうすると、第二バチカンを、その体制の終焉と見れば、そこで千年王国は終わったという解釈になりますでしょう。であれば、千年王国は過去のことになります。あとは、キリストの再臨を待つのみ、ということになるでしょうか。

そういう意味では、「千年王国は、聖霊降臨で来た」というのは間違いということになります。まあ、舌足らずということです。しかし、千年王国が「神、共にいます」という現実を指すとすれば、それは聖霊降臨で始まったということになると思います。聖霊降臨がなければ千年王国はないと思います。

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コメント

問「なぜ、実行委員なので、実行委員会ではないのですか」
答「有志が一人だからです。最低二人の有志が出れば、委員会になるでしょう」

投稿: | 2009年2月16日 (月) 12時43分

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