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2009年3月23日 (月)

回心は瞬間的か

回心は瞬間的という人と、いや、そうではない、という人がいます。カナダやアメリカの伝道者(たとえば、オズワルド・J・スミス、J・R・ライス、ビリー・グラハム)などは、瞬間的という人が多いと思いますが、カトリックでは、そういう人は少ないかも知れません。内村鑑三は、瞬間的ではない、と言っていました。

これは、どちらが正しくて、どちらが間違っているという問題ではないかも知れません。なぜなら、回心という言葉で何を意味しているのか、そこが違っていれば、両方とも正しいという選択があるからです。

瞬間的という人は、新生を指して、そう言っていますが、瞬間的ではないという人は、聖化を指して、そう言っているのだと思います。

新生は洗礼に、聖化は聖餐(聖体拝領)に結びつくと考えれば、洗礼は一回限りで、聖餐(聖体拝領)は生涯、反復されます。比較すれば、洗礼は瞬間的で、聖餐(聖体拝領)は、そうではない、長い時間が必要ということになります。

回心という言葉で新生を指しているのか、それとも聖化を指しているのか、そこが違えば、回心は瞬間的かそうでないかの問いも、違った回答が出てくると思います。

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