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2009年3月23日 (月)

ネガのキリシタン史

 村岡典嗣という人物については、文芸評論家で内村鑑三について精力的に書いている新保祐司氏の書物がある。

 村岡典嗣は、キリシタン史を百倍も面白くしてくれる人物である。その理由(仮説)はこうだ。

 よく知られているキリシタン史は「ポジのキリシタン史」であり、これはザビエルが日本を離れることで象徴されるように、やがて殉教と挫折で終わるのである。

いや、挫折で終わったとは言えないかも知れない。大浦天主堂での隠れキリシタンの発見、殉教者たちの列聖、列福と続いているのを見れば、まだキリシタン史は終わっていないのかも知れない。しかし、それを見るには信仰の目が必要だろう。

ところで、キリシタン史には「ネガのキリシタン史」というものがある。これはマテオ・リッチの『天主実義』を通して密かに日本に入ってきたのである。

 この経路は、平田篤胤を通して、日本思想史のど真ん中に入り込んでいる。この辺の研究は幕末・明治維新そして近代日本の精神史研究の問題だが、そこに「ネガのキリシタン史」解明を目指して、業績を残した研究者が村岡典嗣であり、彼は、その入口を示している。

  平田篤胤の国学と天主教教義との接点については、山口鹿三氏の「声」誌への寄稿によれば、マテオ・リッチの「天主実義」というが、海老沢有道氏は、伊東多三郎氏の研究成果として、在華イエズス会士、アレニの著作「三山論学紀」と篤胤の「本教外篇」とを比較対照して(『南蛮学統の研究 増補版』)、そこに「改作」を指摘している。そして、篤胤は「本教外篇」において、「『天主』を国常立尊などに当て、復古神道における創造主宰神観を形成した」(「日本キリスト教大事典」)と言っている。

 一方、国学とプロテスタントとの関係については、佐賀藩和学寮の教官南里有隣が、在清プロテスタント宣教師ウィリアム・マーチンの教理書「天道溯原」に基づいて著した「神理十要」(安政6年、1859年)で、篤胤と同じ見解に到達していると、村岡典嗣氏は「南里有隣の神道思想」で紹介している。

 念のため、「ネガのキリシタン史」という言葉は、私以外の誰も使っていない。

なお、「南里有隣『神理十要』におけるキリスト教の影響ー『天道溯源』との関連ー」(前田勉)という論文がインターネットで紹介されています。

http://repository.aichi-edu.ac.jp/dspace/bitstream/10424/135/1/kenjin578392.pdf

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