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2009年3月27日 (金)

バルトの立場

カール・バルトは、果たして、どういう立場だったのだろうか。絶対主義という人もいるが、よく引用される言葉で言えば、排他主義なのだろう。包括主義でも、いわんや多元主義ではない。排他主義は、根本主義、原理主義と重なるものがあると思う。

キリスト教の中では、最初は原理主義とは言わないで、根本主義と言われていた。ファンダメンタリズムの訳語である。しかし、イスラム原理主義という言葉が使われて、そのテロリズムが原理主義に結ばれて印象に残る時、キリスト教原理主義としては、少し迷惑なのではないかと思う。メイチェンにしてもウォーフィールドにしても学者であったし、大学を設立したボブ・ジョーンズは、少し扇動者的イメージがあるかも知れないが、いずれにしても、テロとは全く無関係であるからだ。そして、バルトは、そういう陣営の中では、批判されていたと思う。

彼は新正統主義と言われて、原理主義者らからは、批判されてきたのである。

原理主義者とは、どういう人たちかといえば、リベラルな人たちによれば、対話が困難な人たちである。しかし、それも、一つの特徴で、全体の特徴ではないかも知れない。学者タイプの原理主義者が対話困難では本が書けないであろう。

また、膨大な著書を残しているバルトが対話が困難な人であるとは思われない。なぜなら、膨大な本は、多く人たちとの対話を抜きにしては、成り立たないであろうから。

絶対主義とか言われるバルトの立場は何であろうか。ブルンナー論争の経緯を見ていれば、やはり、彼は自分の置かれた環境に対応していたように思われるのである。バルトはバルト主義者ではないと言ったと言われるが、そんなところに柔軟に状況に対応できた大神学者の一面を見たような気がする。

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