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2009年3月31日 (火)

キリシタン禁教

「私は、豊臣秀吉がカトリシズムに対し警戒感を持ってキリスト教を禁止し、その後、徳川家光が徹底的なキリシタン弾圧政策に出たことについては、それなりの正当な根拠があると考えます」と、佐藤優氏は、ウェブ上の「キリスト教概論」の第4回「神の場所(4)ー日本のキリスト教」で言っている。

URL:http://blog.heibonsha.co.jp/blog/satomasaru/2008/02/1.html

私も、そう思う。最近、キリシタン時代の殉教者の列福があったが、禁教に至った経緯というものに、教会は目を塞ぐべきではない。列福は、対話の深化を志向すべきと、私は思う。

佐藤氏は、その禁教の理由について、こう言われている。

「カトリシズムの本質は普遍主義です。カトリックという言葉自体に普遍的という意味があります。当時のカトリック教会はスペイン、ポルトガルという巨大帝国と結びついていました。宗教が政治と結びつくと強力なイデオロギーとして作用します。このようなキリスト教は、政治的にとても危険なのです。そのようなイデオロギー化したキリスト教に対して、日本国家が安全保障上の観点、すなわち植民地にされないようにするために国を閉ざしたことは当然と思います」

佐藤氏は、続いて、こう記す。

「誤解なきように付言しておきますが、現代のカトリシズムには、16世紀のような危険はありません。今もカトリシズムは普遍主義であるということ自体は変化していません。しかし、現代のカトリック教会は、バチカン市国を除けば特定の国家と一体化していません。バチカン市国には世界支配の野望はありません。従って、プロテスタント教徒の一部に残っている反カトリック感情には根拠がありません」

もちろん、「従って、プロテスタント教徒の一部に残っている反カトリック感情には根拠がありません」という部分は、このコンテキストにおいては、と言う条件づきなのだろう。別のコンテキストにおいては、あるいは根拠があるのかも知れない。

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