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2009年4月19日 (日)

救い

救われて  為すことは無し  この世にて
  未完重荷と  新たな課題

我が救い  新生で完  そのあとは
  宇宙完成  意識は違う

救いというものが何を目指しているものか、厳密に考えてみる必要があるように思いました。

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コメント

救いは新生に対応するものとしたら、聖化の目標をどう表現したらいいのか、という問いですが、それは完成がいいのではないかと思いました。聖化の目標も、あるいは一般には「救い」と言われているかも知れませんが、そう言ってしまうと、新生との区別が紛らわしくなります。この紛らわしさに対して、その違いを明確にしたのが、あるいは宗教改革であったかも知れません。この両者を、混合させずに、弁証法的統一の中で見ることが大切と思います。

投稿: | 2009年4月19日 (日) 18時42分

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