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2009年4月29日 (水)

文化内開花

文化内開花という言葉は、既によく使われている言葉である。キリスト教をその国の文化の脈絡の中に位置づけて、その開花を構想するという意味であろう。福音宣教に際して、その国の文化を敵視したり、排除したりするアプローチは退けられている。

日本では、内村鑑三が、その意識を強く持っていた。カトリックの遠藤周作も、「母なるもの」の強調の中には、内村への批判もあったかも知れないが、日本人としての自分に合ったキリスト教を求めた点では、内村と同じ意識があったと思う。

文化内開花という言葉は、カトリックの中で、よく使われているが、それは既に他宗教との膨大な対話をもたらしている。これは、既に歴史もあり、内容も豊かなものである。

一方、内村については、その発想に共感する人は多いけれど、その影響は、プロテスタントにおける文化内開花の実験については余り知られていない場合が多いのではないだろうか。無教会の中ではなく、その周辺に、また別の流れの中に、プロテスタントの文化内開花の実験と成果が、すでに存在している。そんな情報を盛ったものが、『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・R・マリンズ著、高崎恵訳、トランスビュー)である。

そこに取り上げられている教派は、余り注目されてこなかった。今も、そうかも知れない。それは独自の立場で、超教派の交流が少なかったからかも知れない。しかし、内村に共感する人たちは、その一つの展開である、これらの教派の「実験」を無視するわけにはいかないであろう。

『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』で、初めて知った教派もあった。名前は知っていたが、実態はよく知らなかった教派も、この本で理解を深めることができた。そこでは、西洋の著名な神学者たちの提供してきたキリスト教知識は余り役立たない。その抱えている、さまざまな「問題提起」を、どう受け止めるのか。それは「文化内開花」の課題に応えようとしている人たちにとって、具体的な判断材料を提起しているのではないだろうか。

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コメント

『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』は、内村鑑三の問題提起を受け止めて、その展開を志向する人々には示唆に富む本であると思う。日本のキリスト教の課題でもあろう。しかし、この分野がまだ未開拓であるということは、日本の教会指導者たちの責任なのかも知れない。

投稿: | 2009年5月 5日 (火) 10時55分

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