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2009年5月27日 (水)

吉満義彦に関する論文

『東洋哲学研究所紀要』(第24号、2008年12月)に、氏家法雄氏(創価女子短期大学非常勤講師)が、「吉満義彦の人間主義論-近代批判とその神学的根拠(1)」と題する論文を発表されています。

全体は、「はじめに ①問題の所在-何故、吉満なのか。「近代の超克」をめぐる議論から ②吉満義彦の人と信仰 ③吉満の歴史意識 ④吉満の恩寵論 吉満における文化と自然と宗教 ⑤超越的内在論としての受肉のヒューマニズム ⑥おわりに」という構成で、今回(1)では、②までが紹介されています。続編が待たれます。

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コメント

初めてご連絡申し上げます。
東工大で特任教授として国際人権論を教えつつ、セーブザチルドレン・ジャパンという子どもの権利国際NGOでシニアアドバイザーを務めている森田明彦と申します。
以前は財団法人日本ユニセフ協会というところで、広報室長として子どもの権利に関する政策提言活動に取り組んでいました。
専門は人権を巡る思想史でして、おもにカナダの現代思想家チャールズ・テイラー博士の作品を読みながら、西洋起源の人権という理念を日本社会に定着させるために必要なことは何かという観点から思索と実践を重ねてきました。
このテイラー博士の最新作である"A Secular Age"という本の中にジャック・マリタンへの言及が数か所あり、その関連でマリタンの『人権と自然法』を読んでおりましたら、吉満先生のお名前に遭遇し、このブログに辿り着きました。
吉満先生の作品に関する読書会が予定されていると書かれていますが、すでに始まっておりますのでしょうか?
私は、どなたかがご提案されているように、メーリングリストと顔を合わせての勉強会の組み合わせが一番良いように思いますが、開催日時、場所等きまりましたら、ぜひ、ご案内を賜りたくお願い申し上げます。


投稿: 森田明彦 | 2009年6月14日 (日) 10時24分

コメント、ありがとうございました。管理人です。
吉満読書会については、昨年の「しのぶ会」で、参加者の一人から提案があり、参加者が多ければと思い、このブログでも紹介したのですが、その後、提案者からの連絡がないので、そのままになっています。読書会については、いろいろなやり方があるだろうと思います。
マリタンについての言及がありましたが、以前、キリスト教の電子会議室があり、マリタンのハンドルネームの方がいて、興味を覚え、発言したところ、その後、面識を得る機会がありました。その方は、今、大学で倫理を教えておられると共に、ブログを開設していて、なかなかユニークな内容になっています。吉満の論文の前半を書かれた方です。
その電子会議室では、鋭い言い方が飛び交っていて、緊張した場面が続出していましたが、それだけ内容の濃いものがあったかと思います。もう今は、ありません。これらも、参考にして、現代にふさわしい「読書会」があってもいいかな、と思いました。
吉満をしのぶ会は、東京工業大学でも教えておられたことのあるK先生(当時は上智大学教授)らが始められた会ですが、K先生はご病気のため、現在は参加しておられません。そのため、以前よりは規模が小さくなりましたが、年1回の集まりだけは今でも続いています。

投稿: | 2009年6月15日 (月) 06時56分

  中尾文策氏について検索していて偶然このサイトに行きつきました。
吉満義彦、何と懐かしい名前でしょう。

戦中、自前の社会主義者、しかし政治的イデオロギーでは、自分も、人も救われないと悟って、戦後カトリックの道を辿った僕ですが、その道程で田中耕太郎、岩下神父の著作から決定的な影響を受けました。

 吉満先生の論文もむさぼり読んだ記憶がありますが、あの難解な文章、独特の文体、どれだけ理解できたか自信はありません。

 このサイトのからは学ぶところが多く、管理人の方は、現カトリック知識人の中では名前を知られた方だと思いますが、お差支えなければ、お名前を教えていただきたいと存知ます。

 なお小生現在は83歳の老耄ですが、元気な頃は日大法学部で、倫理学と宗教学を担当していました。

投稿: 彦左衛門 | 2009年6月26日 (金) 20時03分

コメント、ありがとうございました。

「吉満先生の論文もむさぼり読んだ記憶がありますが、あの難解な文章、独特の文体、どれだけ理解できたか自信はありません」

そうですね。小野寺功氏の本には教えられるところが多いのですが、吉満義彦の著書『哲学者の神』を読まれて、カトリックに関心が向いたと書かれていました。そこで、この本を読み始めたのですが、部分的には、やはり、よく分からないなというのが感想です。小野寺氏の受けた感銘は、どんなものだったのかな、と思いました。

「管理人の方は、現カトリック知識人の中では名前を知られた方だと思いますが、お差支えなければ、お名前を教えていただきたいと存知ます」

私は、現カトリック知識人の中では無名の人間に過ぎません。名前は、ハンドルは「安楽岡登馬」、本名は「榎本昌弘」です。

「元気な頃は日大法学部で、倫理学と宗教学を担当していました」

私は、以前、4か月間でしたが、日大商学部で警備員をしていました。友人が、日大教授で、英文学などを教えています。

1989年12月3日、上智大学で、岩下壮一神父帰天50周年の集いがありましたが、中尾文策氏も、それに出られていたと思います(中尾氏の名前は、吉満の本に出ていたと思いますが、私は、お話したことはありません)。私も、その集いのお手伝いをしたので、記念写真に出ています。その時、垣花秀武先生と出会い、そこから、吉満義彦をしのぶ会に出るようになりました。岩下壮一神父帰天50周年の集いは、元カトリック新聞編集長の塚原嘉平治さんが中心になって準備し、開催したものです。塚原さんも、最近、亡くなられたとのことです。岩下神父をしのぶ会は、5年くらい続いて、なくなりましたが、吉満義彦をしのぶ会は、主に年1回ですが、今も続いています。

この岩下神父をしのぶ会がきっかけで、同神父に関する本が二冊できました。『キリストに倣いて』という本と、その続編です。最初の本には「岩下壮一神父 永遠の面影」という副題がついていますが、この副題は、『哲学者の神』にある「恩師永遠の面影」から、一部、とったのです。この恩師は、もちろん、岩下神父のことです。吉満氏の文章でも、分かりやすいものの中には、感動的な言い方があると思います。

私は、第二バチカン以降のカトリック教会の姿勢を評価し、また諸宗教対話などでは感謝し、将来を期待していますが、その関係で岩下、吉満といった戦前のカトリック知識人が「忘れられた思想家」にされているのは、残念に思います。その人たちと、現在のカトリックの信仰との比較など、関心を持たれる人がいれば、やってみたいと思っています。

投稿: | 2009年6月26日 (金) 21時49分

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