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2009年5月29日 (金)

ベルジャーエフのこと

某図書館で、新刊図書のコーナーにあると思った『ベルジャーエフ著作集 Ⅱ新たな宗教意識と社会性』(青山太郎訳、行路社)を借りた。おや、ベルジャーエフの新刊書が出たのだろうかと思ったが、奥付を見ると、1994年の初版発行になっている。15年も前のものである。新刊図書ではなくて、新着図書のコーナーだったのだろう。

この著作集は、全11巻、別巻1の計画で、この本によると、その他、「Ⅳ 創造の意味 弁人論の試み」、「Ⅷ 共産主義とキリスト教(論文集)」が既刊になっていた。その計画の中に、「Ⅵ 新しい中世・現代における人間の運命」が含まれている。過日、と言っても、だいぶ前の話だけれど、行路社に問い合わせたところ、この計画の実現は困難とのことであった。「新しい中世」を、新しい訳で読む機会はないのだろう。

借りてきた本を読んでいて、大学生の時に読んだ感激を思い出した。何か引かれるのである。それは何なのだろうか。

ベルジャーエフは、自分は哲学者だと言っているが、哲学の定義をした時には、むしろ、神学者と同じ土俵に立っているとも言える。だから、彼は神学者だと言えば、やはり、それとも違うものを持っている。それは何か。それをもう一度、考え直してもいいような気がする。

哲学者にとって、宗教体験は不可欠の前提ではない。しかし、神学者にとっては、不可欠の前提であろう。もっとも、それを前提にしない神学者もいるかも知れないけれど、たいした仕事はできないと思う。その意味で、ベルジャーエフは神学の領域で仕事をしているともいえる。しかし、神学には、ベルジャーエフのような意識はあるのだろうか。その意識とは、端的に言えば、「意味の探究」への問いかけである。これが、彼を哲学者にしているように思う。

キリスト者にとっては、新生(義認)と聖化は、その存在の前提であると思う。しかし、それを、どれくらい反省しているのだろうか。

人間の心の要素としての知・情・意の観点から、聖化を反省してみれば、情については、聖霊体験の証しの中で、よく語られていると思う。意に関しては、再臨信仰への心の向け方の不変性を考えるべきなのだろうか。しかし、知に関しては、どうなのだろうか。聖霊体験について、知の観点から、どれくらい深みのある洞察が語られているのだろうか。この点の反省があれば、ベルジャーエフへの関心は新しく復興するのだろうと思う。

キリスト者に、「意味の探究」への旅を促しているのが、ベルジャーエフなのかも知れない。

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コメント

ベルジャーエフと内村鑑三との問題意識には共通したものがあるように思う。見える教会への、その限界への眼差しには共通したものがあるように思う。しかし、それは、教会の中にいても、肯定できるものでもあるのではないだろうか。

多くの問題提起がされている。彼には教会全体が視野に入っている。エキュメニズムというものが、それぞれの教会の中に軸足を置いて、協力関係への模索という段階を超えないのであれば、余り進展を期待できないだろう。教会全体を俯瞰できるような視点を持った時、すなわち、個々の教会の中に軸足を置くのではなく、それを超えた来るべき教会に視点を置いた時、それは実質的に進むのだろう。ベルジャーエフは、そういうことを口をすっぱくして、繰り返し語っているのである。

日本の教会は、もう少し、ベルジャーエフに関心を持ってもよいように思う。さまざまな問題提起が、なされている。それに、どう応えるのだろうか。

投稿: | 2009年6月 3日 (水) 09時24分

年上の友達はベルジャエフの(著作の)ことをヴィヴァルディの(コンチェルト)のやうなものと表現して居ました。(つまりどれもこれも同じでつまらない)
学生時代白水社の著作集を持つて居たさうです - でも完結が遅かつたのでそのうちに飽きてしまひ全巻は揃はなかつた。(彼は一時ソロヴィエフに転向したやうですがその後は知りません)
西尾幹二、立花隆の本で彼の名前を見かけました - 時代錯誤のやうに思つて居ます。
最近古本屋で『ロシアの理念』『ロシアの運命』を合本した(ロシア語の)本を求めました1997年の発行でした。

投稿: あがるま | 2009年6月11日 (木) 09時56分

あがるまさん、こんにちは。管理人です。

「つまりどれもこれも同じでつまらない」
確かに、繰り返しがありますね。しかし、リズムがあり、洞察があり、私は、面白く読みました。

「学生時代白水社の著作集を持つて居たさうです - でも完結が遅かつたのでそのうちに飽きてしまひ全巻は揃はなかつた」
白水社の著作集が、この人を知るきっかけだった人は多いと思いますが、私もその一人です。自叙伝までで、一応、企画は完結したのではないかと思います。

「彼は一時ソロヴィエフに転向したやうですがその後は知りません」
田中耕太郎氏が、ソロヴィエフの紹介をしていましたが、御子柴さんという方も、書かれています。御子柴さんには、一度、お会いしたことがありました。

「最近古本屋で『ロシアの理念』『ロシアの運命』を合本した(ロシア語の)本を求めました1997年の発行でした」
ロシア語を読まれるのですか。私には分かりませんけど。最近、読んだベルジャエフの本(翻訳)では、翻訳の中で正教会の用語が使用されていて、なじみのない人は、少し戸惑うかな、と思いました。「聖神」という言葉がありましたが、これは、「聖なる神」という意味ではなくて、「聖霊」の意味だと思います。

投稿: | 2009年6月12日 (金) 10時01分

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