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2009年6月10日 (水)

諸宗教対話

諸宗教対話は、プロテスタントの中では余り見えてこないけれど、カトリックの中では、実に盛んである。その時、どんな議論があるのか、関心のある人には、最近、出版された本、『奥村一郎選集 2  多文化に生きる宗教』が、非常に参考になる。その対話の前提としての、考え方にも言及している。

「排他説-邪教論」、「宗教平等論 絶対的平等論」、「相対的平等論」、「折衷説」、「優越説」、「成就説」、「無名のキリスト者」など、取り上げられていて、解説、批評が加えられている(63-66頁)。

排他説は、「原理主義」的考え方であるが、「この立場では、「宗教対話」は、まったく不可能」という。そうかも知れない。「原理主義」は、イスラム原理主義という言い方が、キリスト教にも波及してきたものだが、あのアメリカでの、最初の根本主義(ファンダメンタリズム)の動機が、イスラム原理主義と同じとは、思いたくない。いや、テロを誘発するという点では、違うと思う。

「優越説」、「成就説」、「無名のキリスト者」の三項目については、今も影響している考え方と思う。「成就説」は有用ではないだろうか。賀川豊彦の考え方も、これのような記述が別の本に記されていた。

「無名のキリスト者」については、批判的に書かれているが、仏教者をキリスト者とみなすというのが、その本意ではないと思う。そうではなくて、自分たちには分からないが、仏教や、その他の宗教の人たち、また宗教を持たない人たちでも、神の「救い」の中に入る可能性を否定できないのではないだろうか、という意味ではないだろうか。もちろん、普通の、教会による救いの道を否定するのではないけれど、あの人は救われた人、あの人は救われていない人などと、安易にレッテルを貼りたいとは思わない。死の瞬間まで、人の救いは、どうなるのか分からないし、宗教の定義では、「救われていない」人たちに対しても、その究極的、最終的判断を、どこかで保留していくことが、人としては望ましいのではないだろうか。

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