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2009年7月20日 (月)

三年半

終末論には関心がある。千年王国と再臨との関係など、いろいろな説の中で、どう考えるべきなのだろうか。千年王国は信仰告白の中にはないが、再臨は入っている。だから、比較すれば、再臨は必須だけれど、千年王国は、それよりランク下ということであろうか。

千年王国とは、この地上でのことであろう。その時、地上の権力と教会の権威との関係が、それら諸説の存在の原因であろうか。迫害時代は、まず再臨の強調で、千年王国前の再臨、国教時代は無千年王国、そして政教分離時代は、千年王国後再臨が適応しているようにも思える。

千年王国の起点を過去求めるとしたら、聖霊降臨の時か、あるいはキリスト教がローマ帝国で、国教になった時であろうか。聖霊降臨の時代区分は今も有効である。しかし、国教は過去のことになった。しかし、いずれにしても、千年王国は既に始まっているという理解が可能である、ということを示唆している。

ところで、終末論には、神の民の艱難時代もテーマとして出てくる。それは三年半だという。この三年半を、どう考えるのか。時計の時間を指しているのだろうか。それとも象徴的に捉えるべきなのか。

そこで、少し連想を働かせると、あの太平洋戦争は約三年半であった。1941年12月8日から1945年8月15日までであるから。しかし、これは日本の経験であって、聖書の舞台であるユダヤ民族とは無関係ではないか。それはそうだけれど、日ユ同祖論をもってくれば、無関係ではなくなるのではないか。一つの問題提起である。取り組む人がいるだろうか。

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