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2009年7月27日 (月)

再臨信仰の再興

日本の教会の弱体化が憂慮されている。信徒が増えない、献身者が少ないなど、教会はこれからどうなるのだろうか、と心配する声が多い。処方箋は何か。私としては、再臨信仰の再興を挙げたい。

かつて、内村鑑三の名と共に、再臨運動が展開された。この運動では中田重治や木村清松の名前も出ているが、内村が中心であったと思う。しかし、やがて内村の判断の中で、運動は終焉する。それは、誤解が生じて、それを憂慮したからである。

誤解は、この運動展開の中で常にあったし、反対論もなくならなかった。しかし、それでも、再臨を待つ信仰なくして、聖化は安定しないのである。聖化信仰を安定させ、持続させるためには、再臨信仰という支えが必要である。どうしても必要である。だから、この信仰を非日常的な影響という点から中止するというのではなくして、日常的な信仰の中で捉え返すことが必要なのである。再臨信仰は、日々の信仰でなければならない。日々の祈りの中で覚えられなければならないのである。

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コメント

『内村鑑三日録10 再臨運動』(鈴木範久著、教文館)が参考になります。特に、巻末の豊富な史料は有益です。いろいろな方面から再臨問題を考えることが出来ます。

内村が再臨信仰に至ったのは第一次世界大戦が契機であったのは自分で語っていますが、同時に、回顧の中で、無教会主義は再臨をもって実現するとも言っていたと思います。この指摘も重大であると思いました。それは、無教会の教会批判の一つに教派主義があったと思うからです。

教派主義への批判は、何も内村から始まったのではなくて、日本のプロテスタント教会も、その歴史のはじめ(「公会」)から、この精神を意識していました。また、第二バチカン公会議でも、教会の一致を追求することになり、プロテスタントの始めた教会一致運動に積極的に加わるようになりました。

しかし、内村にも、この課題、教派主義の克服は深く意識されていて、それは再臨によって実現するという理解だったのかと思います。そう考えていけば、再臨信仰は、無教会の信仰の中から「必然的」に生まれなければならないとも思われるのです。内村の再臨信仰を理解する一つのアプローチが、ここにあるのではないかと思います。

投稿: | 2009年7月28日 (火) 20時10分

内村の日記(1929年10月24日)には、このような言葉があります。

「無教会主義はこの世において実行不可能の主義である。もし実行可能なれば、直ちに教会と成りて実現する。無教会主義の貴さは、その実行不可能なるにおいてある。キリストの教えもまた、しかりである。誰も山上の垂訓が文字通りにこの世において実行され得べしと信ずる者はない。不可能を実行せんとして努力、奮闘するところにキリストの教えの尊さがある。無教会はキリストの再臨を待ってその実行を見る主義である。それまでは理想として、その部分的実現をもって満足する。」

「無教会はキリストの再臨を待ってその実行を見る主義である」という個所があります。

投稿: | 2009年7月28日 (火) 22時04分

内村鑑三はニーチェに似ているという指摘があったと思う。恐らく、顔のことを指しているのだろう。しかし、思想にも、よく調べていけば類似点があるかも知れない。一方は熱烈なキリスト者、一方はキリスト教批判者であれば、二人は両極と一般には受け取られているかも知れない。しかし、無教会は、ある意味では教会=キリスト教批判の展開でもあった。そして、ニーチェの「超人」の理想は、内村の信仰の過程では、再臨に焦点を当てた時に、その実現に至ったという見方、類比も可能かも知れない。二人とも実存主義的な生き方、信仰を現代に伝えているのである。

投稿: | 2009年7月29日 (水) 06時59分

医師の湊謙治氏の著書に『信の内村鑑三と力のニーチェ』(1917)があるようです。一方は教会に対して、他方はキリスト教に対して、強烈な、また徹底的な否定があった。しかし、内村の場合には、その否定の強さにもかかわらず、それは常に信仰の、それも健全なキリスト教信仰の肯定に支えられていた。そこが不思議であり、また魅力でもある。ニーチェの最終的な肯定は何であったのだろうか。キリスト教を否定して、何を肯定しようとしたのだろうか。「超人」が理想なのだろうか。しかし、それは生き方であり、ゴールではないだろう。そして、ゴールが不明の時、生き方は確立するのだろうか。

投稿: | 2009年8月21日 (金) 15時18分

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