« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »

2009年8月31日 (月)

衆院選

家住期が 自民の意識 されど今
 林住期なり 選挙の結果

| | コメント (0)

2009年8月30日 (日)

「内村鑑三日録」の意義

内村鑑三が東京・美土代町の基督教青年会の講堂で連続講演会をしていたところ、小崎弘道らによって講堂の使用を止められたという話はよく知られている。その経緯の詳細が分からず、当初、内村に同情して、小崎の判断、行動を理解できないこともあったが、日録で、その経緯を知った時、小崎の行動にはむしろ問題を感じなかった。問題の発端は、青年会が内村の活動の盛んなのを利用しようとしたことから始まったのではないだろうか。この事実が隠されている時、小崎らの行動は不可解である。また、内村の講演を「利用」しようとした青年会の意向にも、それなりの理由、背景があった。日録は、内村の生涯の理解には欠かせない資料を提供していると思った。

| | コメント (0)

他人の空似

公明の 代表を見て 目のあたり
 誰かに似てる 若林さん

公明党の太田昭宏代表を選挙のため、テレビでよくお会いしますが、誰かに似ていると思っていました。誰だろうと考えていましたが、目のあたりが俳優の若林豪さんに似ていると思いました。

| | コメント (0)

2009年8月28日 (金)

晩夏

逝く夏の 名残りの雲は 中天に
 そよ吹く風の 涼は淋しく

| | コメント (0)

最強の文書伝道者

内村鑑三著『一日一生』(教文館刊)を新版で読んでいる。今でも全く通用し、読める本になっている。しかし、思えば、内村鑑三という人は幕末に生まれ、昭和5年に死去した、もう相当昔の人物である。こんなにも長く、その文章が読まれている人物は、近代日本のキリスト教史の中では、他に例がないと思う。文書伝道の観点からは、傑出した成功者であろう。

かつて、最高裁長官を退官した藤林益三さんにお会いしたことがある。勤務先の銀行の一室であった。その時、藤林さんは自分の後ろの本棚から、岩波書店が刊行を始めたばかりの、内村の初出の文章ばかりを集めた全集の一冊を取り出して、「全部、集めるつもりです」と、ニコニコしながら話してくれた。しかし、この本を、あとで開いたところ、今の人にはとても読めない文章だと思った。しかし、内村の文章は今も読まれているのである。その影響の大きさを思わずにはおれない。

私は、息子さんの祐之さんには会ったことがない。しかし、祐之夫人、美代子さんには、一度だけ美代子さんの自宅でお会いしたことがある。この美代子さんも、内村の文章が今の人にも読めるように、仮名遣いなどで、貢献したという。多くの人たちの協力の中で、内村の文章は今も多くの人たちの心に福音を伝えている。この現実をどう考えたらいいのだろうか。

それにしても、彼が終生、学び続けた聖書は、これもまた、とつてもなく古い本である。聖徳太子よりも昔に出来た本である。古いけれど新しい、この絶対矛盾的自己同一の洞察に超越の踏み台があるのかも知れない。超越とは救いと言い換えてもいい。

| | コメント (0)

2009年8月25日 (火)

信・望・愛

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」(コリントの信徒への手紙1、13章13節)

愛が最高価値である。なぜなら、神は愛だからである。神が最高価値という意味でもあろうか。

しかし、それは心からの言葉でなくてはならない。それは「神と共にある」という生のあり方から生まれるものであろう。その立場に、人はどのようにして達するのであろうか。そこに、信と望がある。

信は、愛を受け取る手である。その手がなければ愛は分からない。しかし、それだけで十分であろうか。その生活は、新しい、動的なものであり、旅の途上にある人の、ある意味の不安もある。自分はどこに行くのか。しかし、「神と共にある」というあり方がなくなるとは思わない。そのゴールが旅の目的であることは必然である。

旅人は目的地を思わずにはいられない。その思いが望である。しかも、旅人は目的地目指して進むだけではない。目的地の方から、旅人のもとに目的そのものがやってくるというのである。それは、旅のあり方の逆転である。そして、そこに主の再臨がある。再臨とは、したがって、望の究極であり、その中で、視線の転換が行われているようにも思う。

いずれにしても、信も望も、やがては必要なくなる時が来る。だから、もっとも大いなるものは愛と言えるのだと思う。神は昨日も今日も、そしていつまでも変わることはない。

| | コメント (0)

2009年8月24日 (月)

角筈の地

Rimg0286 1883年、加藤トシ子によって創立された女子独立学校(今は、東海大学付属望洋高等学校になっています)の開設地、角筈の地は、今の西新宿1-6、エルタワービル(写真、中央手前のビル)の地であったとのこと。ということは、内村の住居も、その近くにあったことになり、夏期講談会も、今の位置で言えば、新宿駅の駅前で行われたのでしょう。(「東海大学付属望洋高等学校」のウィキペディアによると、「1883年にキリスト教徒の教育者である加藤トシ子によって女子独立学校として東京都新宿区角筈に開校した」とありますが、開校の1883年には、他の資料では別の年が記されていて、疑問が残ります。)

私はよく、新宿駅西口のビッグカメラには行きますが、その昔、このあたりに内村が住んでいたのかも知れません。今まで、そんなことは考えたことはありませんでしたが、このあたりが、角筈時代の内村の活動の拠点であったのでしょう。

驚くのは、この学校の卒業生です。ウィキペディアによると、「1898年に精華学園となり、翌年には内村鑑三が校長に就任。その後、勝田孫弥が同校を引き受け1910年に精華高等女学校と改称した。戦後の学制改革で精華学園女子高等学校となる。この頃の精華学園は歌手や女優が多く通っていたが、」とあります。

しかし、この記述には疑問が残ります。内村鑑三の歴史の中に、精華学園という名前は出てこないと思います。

その精華学園時代の卒業生には、美空ひばり、星由里子、小川知子らがいます。また、吉永小百合、落合恵子、中尾ミエなどは中退しているようです。こういう人たちの名前が内村と結びつくのは、考えてみたこともありませんでした。

| | コメント (5)

2009年8月23日 (日)

内村鑑三の住居あと

Rimg0284 内村鑑三の柏木の住居(柏木919番地)はどのへんにあったのだろうか。関心はあったが、分からないでいた。しかし、『内村鑑三日録7』には、「今の地番でいうと、北新宿三丁目一〇番地一あたりとみてよいだろう」(383頁)とある。そこで、その地を訪ねてみた。

その地番には、今は豆腐やさんがあった。隣は新聞店、そしてまた、その向こうの隣にはキリスト教会があった。それらには、何か内村の生涯の働きを連想させるものがあった。

Rimg0285 豆腐やさんの名前には「和泉」の文字があった。「平和の泉」であれば、それも内村と無関係ではないだろう。

ここは、大久保通りの、蜀江坂を上った蜀江山にあり、坂はなだらかである。内村は瞬間的回心よりは、漸進的な信仰の成熟を重視したことを思えば、坂のなだらかさにも、ある連想が働く。

それにしても、彼の活動を記念する標識があってもいいのではないだろうか。そう思いつつ、周辺を見渡してみた。豆腐やさんの近くに、何かの標識のようなものがあった。平成4年3月に東京都が作った石の標柱で、ただ「北新宿三丁目9番」とだけある。意味がよく分からない。その上には、「新宿今昔散歩」と書かれていて、地図には、昔の寺と、今の文化施設などが表示されていた。なんのための標柱なのか、よく分からない。

その隣には橋の欄干のような二本の石の柱が立っていた。鎖が二つの柱の間にあり、安全に橋を渡るイメージが、そこにはあった。何かの象徴であろうか。そして、その柱の横には、「歴史と文化の散歩道」という文字が刻まれていた。

この標識は何のためかよく分からないが、隣が内村の住居であったのであれば、この標識も、内村の関係者には意味があるかも知れない。

明治40年10月10日刊行の『聖書之研究』92号には、角筈から柏木への移転の謹告が載っているが、その中に、「鎧神社付近」との案内もある。現在も鎧神社はあり、その歴史を読むと、そこにも、いくつかの内村との関連を連想させるものがあった。

| | コメント (1)

再臨運動の継承

内村鑑三は再臨運動を短期間で終えた。しかし、再臨信仰を捨てたわけではない。そして、彼の再臨運動の信仰は、ウィキペディアによると、中田重治と共に、千年王国前再臨説であったという。彼は、この運動のあとも、再臨説を捨てたわけではない。その強調点が移行したと思われる。そこに千年王国後再臨説との類比を見ることはできないだろうか。その他、無千年王国説もあるが、これでも、再臨が否定されているわけではない。再臨は、信仰の教えである。その中で、信徒は一体、何を、どのように信じているのか、検証してもいいのではないだろうか。内村の再臨運動は、そのきっかけを提供してくれるかも知れない。

彼の再臨運動に対して、海老名弾正や冨永徳麿が批判したことはよく知られている。しかし、その内容は、どうだったのだろうか。何を批判したのだろうか。今、客観的に検証する時が来たのではないだろうか。内村の影響下にある信徒は、これらの対立の中で、海老名や冨永を否定的に捉える意識が無意識的に働くかも知れない。しかし、彼らも信者であれば、再臨を否定しているわけではないであろう。再臨思想は、千年王国前再臨説だけではない、別の解釈もあるのだ、ということであれば、その批判には一理あるのではないだろうか。

内村の信仰を継承する人たちが、これらの課題にも応えてほしいと思う次第。内村の再臨運動は短期間で終わったが、運動は、再臨が実現するまで続けられるべきではないのだろうか。それにしても、近代日本のキリスト教史に、これらの課題を永遠に置いている内村鑑三という人物は、やはり忘れるわけにはいかないと思う。教文館から出ている日録を読んでいても、こういう人物がかつて日本にいた、またこういう時代がかつて、日本にあったということが何か信じられないような気がしている。そんなにも、現代は霊的には低調な時代なのだと思う。

| | コメント (1)

再臨信仰の力

再臨信仰というのは、信仰が、この世においても、やがては勝利するという観念を提供してくれる。近代思想の人間中心主義に対して、教会は批判しつつも、共存していく中で、いつしか、その存在は周辺に追いやられつつ、今では土俵の綱に足がかかっているように、土壇場に追い詰められているのではないだろうか。そんな消えかかっている信仰に、新しく上からの活力を注入するもの、それが再臨信仰である。

| | コメント (0)

2009年8月17日 (月)

憲法の話

昭和40年代の初め、京都・百万遍にあった武藤一雄・京都大学教授の自宅を大学の後輩と二人で訪問した。その時、同氏の書いた憲法に関する小冊子をいただいた。そこには、日本国憲法が、何か律法のように神の与えたものといったような指摘があった。もちろん、一つの比喩であろうが、憲法の由来に何か神的なものを考えておられるようであった。

この憲法を、そのまま読めば、現実社会の中で、いろいろと問題が起きそうである。特に安全保障に関しては、憲法のみで、日米安全保障条約がなければ、国民としては不安で一日も生きた心地がしないのではないだろうか。ところが、この両者は単純に読めば、矛盾対立の関係にある。そして、現実は、憲法は日米安全保障条約を憲法違反として排除できないのである。そういう関係の中に、日本は置かれている。

この矛盾の解決のためであろうか、憲法改正の必要を説く人たちがいる。しかし、その人たちも、憲法の平和主義までなくそうとはしていない。だから、憲法改正の議論も封じようとする平和主義者たちは、対話できない原理主義者として、また批判されるかも知れないし、また、改正論者の中にも原理主義的な人もいるだろう。

ところで、憲法は改正されるべきなのだろうか。日本の被爆国としての立場を考えた時、憲法の平和主義をなくすわけにはいかないだろう。そして、日米同盟というものが同時並立している現状を考えた時、憲法はそのままにして、日米同盟の変化の方に目を移して、その中で新しい安全保障を考えてもいいかも知れない。それは日本の平和憲法が、安全保障に関しては現実的ではないという評価への理解をも示すものである。

ところで、内村鑑三の「初夢」という詩がある。彼は日露戦争の時の絶対非戦論で知られている。今、この戦後日本の歴史の中に、世俗の権力の歴史のど真ん中に、どこか別の世界から舞い降りてきたような絶対平和主義の憲法の存在を思う時、あの内村の初夢において描かれている日本の使命は、この憲法の働きなのかも知れないと思った。

| | コメント (1)

番町教会の信徒

小崎弘道が1886(明治19)年に設立した教会に番町教会があるが、その信徒に、次のような人がいたという。

桂公爵前夫人、大山公爵捨松夫人

そして、桂公爵は求道者であったという。(参照・『内村鑑三日録 転職に生きる』鈴木範久著、教文館、116頁)

大山捨松はよく知られているが、桂公爵夫人とは、どういう人なのだろうか。

| | コメント (0)

2009年8月16日 (日)

空中再臨

キリストの空中再臨という話がある。聖書に出てくる。また、イエスの水上歩行の記事もある。これらは、どう解釈するのだろうか。解釈なしで、そのまま「事実」と見たら、若き日の長谷川如是閑が、宣教師の語る聖書の話に荒唐無稽と感じたと同じような反応が返ってきても、おかしくはない。

復活は甦生ではない。それは甦生のようでもあるという類似を否定するものではない。しかし、その類似点にのみ目を向けて、そこに事実を見ようとする目に固執すれば、空中再臨、水上歩行が「科学的事実」という受け止め方をされて、一笑に付されるだけとなるかも知れない。その関係を解明することが肝要と思われるのである。

水上歩行も空中再臨も、過去における、また将来における科学的事実であるとは、私は思わない。しかし、それは、その真理性を否定するのではなく、全く逆である。信仰の目で捉えた時、それらは、実に重要なものとなって現れてくると思う。空中再臨は信仰者の実存的生き方を最高に強化するものに思われる。再臨は最後の事柄であるけれど、その過程にあるのが、空中再臨である。それを書いた人は、そのようにしか伝えられなかったのではないだろうか。しかし、それが真理であるという直感があった。われわれは、その直感を正しく受け止めて、信仰の、時間・空間を超えた普遍性を確立していかなくてはならないのであろう。

| | コメント (1)

2009年8月12日 (水)

統一教会のこと

統一教会とは、正式には世界基督教統一心霊協会という。私も何人かの信者との接触があったが、どの人にも悪い印象は持たなかった。しかし、やがて、その関係の中で、14年半勤務した会社を退社した。

退社には別の動機もあった。しかし、公には「統一教会との関係がこじれて」という理解がされているかも知れない。それもまた間違いではないから、それはそれでよいかも知れない。

統一教会は、やがて霊感商法でも知られるようになり、反社会的として批判されるようになった。

しかし、それ以前、統一教会の教会へのアプローチには、なかなか執拗なものがあった。それは教義に関連していたのであろうと思う。諸教会が統一教会を認めること、その中に統一教会の根本的な存在理由を見ているようでもあった。イエスが来た時、その時の宗教指導者たちがイエスを拒否したのが歴史的事実であるが、同じような図式を描いているのか、今、ユダヤ教宗教指導者に代わるキリスト教諸教会が統一教会を認めることが大切であり、必要なのだという理解であったように思う。成約という言葉も使われていた。

そこには解釈があったが、その解釈を徹底的に批判する人もいた。その中にはカトリックの司祭もいたが、その成果が、やがて私の退社にからんだのである。

プロテスタントの教会側では警戒心が強く、中には自分の教会の紹介に「統一教会とは無関係」として表示するものも出てきた。

まだ、統一教会の勢力が強い時、昭和40年代の前半であったが、早稲田大学で、この教会の紹介があった。十字架は失敗で、そのために再臨のキリストが来るということであった。十字架が失敗という捉え方が、何かひっかかっていた。キリスト者の信仰の中で、十字架は失敗であったであろうか。その贖罪行為の故に聖霊降臨があったとすれば、失敗ではなくて、その目的を完全に果たしているのではないだろうか。しかし、その後の教会の歴史を見れば、またキリスト者の生き方を見れば、それでも罪が残っているように思える。その課題が、今も残っている。だから、それを指摘して、十字架の失敗という言い方も、ある程度、可能であるかも知れない。そして、それはキリストの再臨を予想させるものである。

キリストの再臨は、統一教会の言うように、十字架の失敗のためではないと思う。十字架の贖罪で始まった新生・聖化の行程の完成のためであると思う。両者の違いは微妙ではあるが、明確に知る必要があると思う。新生は「救われた」という言葉でも語られているが、その言葉は、決して再臨を無用にするものではない。再臨によって支えられることが、聖化の道を完成させるために必要、不可欠なのである。そういう意味で、新生と再臨は二者択一ではなく、共に必要なのだ。その論理は、絶対矛盾的自己同一か、楕円の真理か、言葉の意味の対立を超えた視点を要請するものである。

しかし、教会は、再臨問題にからんだ統一教会の問題提起を捉えて、再臨信仰の再興にまでは至らなかったのである。その対応ができなかった。そんな余裕がなかったのかも知れない。もし、統一教会を反面教師として、自分の信仰の反省と終末論的信仰の再興に至ったのであれば、教会はもっと強化されたであろうと思う。

| | コメント (0)

2009年8月11日 (火)

選挙の夏

地のことを 道は知らずや 騒然と
 被爆の夏に 選挙は近し

| | コメント (0)

選挙

地のことを ただ地のことを 騒然と
 天を論ぜず 選挙は近し

| | コメント (0)

2009年8月 7日 (金)

被爆国

被爆国 不幸の極み その中に
 崇高使命 自覚する夏

米国に 恨み示さず 同盟化
 共に守らん 国のためには

道義的 責任語る オバマ氏に
 時代の風は 新たに吹けり

| | コメント (0)

2009年8月 3日 (月)

再臨信仰

再臨信仰というと、内村鑑三を思うのではないだろうか。関連の文章がたくさん残っているので、自然にそうなるような気がする。再臨待望同志会という団体が公開の集会を開くことはあっても、回数も少ないし、影響に関しては、内村の文章の方がよほど大きいと思う。

内村の文章は、今では教会の人たちもたくさん読んでいる。無教会人の独占ではなくなっている。教会の説教だけで信仰を養うのは、なかなか無理がある。説教で、どれくらい再臨について教えられるであろうか。内村の文章の方が、よほど深いところを表現していると思う。

信仰は贖罪から生きたものとなる。しかし、それは生きたものであるから、方向づけられなくてはならない。そのゴールを考えた時、そこにあるのは再臨である。贖罪と再臨との関係については、内村も語っているが、教えられるところは多い。再臨信仰の再興が、教会の大きな課題ではないかと思う。そこから贖罪との関係が反省され、教会の自覚の深化もなされるであろう。

キリスト教信仰を自覚していこうとする時、今でも内村に教えられるところは多い。内村は無教会人の独占ではない。教会の人たちも、それを読み、益を受けるところは多い。その益を、それぞれの教会の中で生かしていけば、それでいい。そういう流れを、教会の中で作っていくことが無教会の教派化を阻止することにもつながるのではないだろうか。無教会は教派ではないというのが、内村の見解であり、パーメリーさんへの手紙によく書かれている。もちろん、無教会を教派と見る見方も、ある意味では常識的見方とも言えるのだけれど、内村が問題にしているのは、そこに込められている意識の問題かも知れない。

それにしても、日本という国は、一人、内村鑑三という人物の出現により、どれくらいの益をこうむっているか計り知れないものがあるような気がしている。教会が弱体化していても、内村の本がある限り、日本におけるキリスト教は大丈夫のような気がする。

| | コメント (0)

« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »