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2009年8月23日 (日)

内村鑑三の住居あと

Rimg0284 内村鑑三の柏木の住居(柏木919番地)はどのへんにあったのだろうか。関心はあったが、分からないでいた。しかし、『内村鑑三日録7』には、「今の地番でいうと、北新宿三丁目一〇番地一あたりとみてよいだろう」(383頁)とある。そこで、その地を訪ねてみた。

その地番には、今は豆腐やさんがあった。隣は新聞店、そしてまた、その向こうの隣にはキリスト教会があった。それらには、何か内村の生涯の働きを連想させるものがあった。

Rimg0285 豆腐やさんの名前には「和泉」の文字があった。「平和の泉」であれば、それも内村と無関係ではないだろう。

ここは、大久保通りの、蜀江坂を上った蜀江山にあり、坂はなだらかである。内村は瞬間的回心よりは、漸進的な信仰の成熟を重視したことを思えば、坂のなだらかさにも、ある連想が働く。

それにしても、彼の活動を記念する標識があってもいいのではないだろうか。そう思いつつ、周辺を見渡してみた。豆腐やさんの近くに、何かの標識のようなものがあった。平成4年3月に東京都が作った石の標柱で、ただ「北新宿三丁目9番」とだけある。意味がよく分からない。その上には、「新宿今昔散歩」と書かれていて、地図には、昔の寺と、今の文化施設などが表示されていた。なんのための標柱なのか、よく分からない。

その隣には橋の欄干のような二本の石の柱が立っていた。鎖が二つの柱の間にあり、安全に橋を渡るイメージが、そこにはあった。何かの象徴であろうか。そして、その柱の横には、「歴史と文化の散歩道」という文字が刻まれていた。

この標識は何のためかよく分からないが、隣が内村の住居であったのであれば、この標識も、内村の関係者には意味があるかも知れない。

明治40年10月10日刊行の『聖書之研究』92号には、角筈から柏木への移転の謹告が載っているが、その中に、「鎧神社付近」との案内もある。現在も鎧神社はあり、その歴史を読むと、そこにも、いくつかの内村との関連を連想させるものがあった。

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なお、『新宿区史跡散歩』(高橋庄助著、学生社)には、内村鑑三終焉の地として「北新宿1-30-25」の地番が載っている。これは、北新宿3丁目10番地1とは、大久保通りを超えた向かい側なのだけれど、それくらい広い土地であったのだろう。正確には、『今井館の歩み』(今井館教友会発行)に、正確な場所が示されている。それによると敷地は、東西約50メートル、南北約25メートルで、約370坪とある。

投稿: | 2009年10月 6日 (火) 22時05分

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