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2009年8月23日 (日)

再臨運動の継承

内村鑑三は再臨運動を短期間で終えた。しかし、再臨信仰を捨てたわけではない。そして、彼の再臨運動の信仰は、ウィキペディアによると、中田重治と共に、千年王国前再臨説であったという。彼は、この運動のあとも、再臨説を捨てたわけではない。その強調点が移行したと思われる。そこに千年王国後再臨説との類比を見ることはできないだろうか。その他、無千年王国説もあるが、これでも、再臨が否定されているわけではない。再臨は、信仰の教えである。その中で、信徒は一体、何を、どのように信じているのか、検証してもいいのではないだろうか。内村の再臨運動は、そのきっかけを提供してくれるかも知れない。

彼の再臨運動に対して、海老名弾正や冨永徳麿が批判したことはよく知られている。しかし、その内容は、どうだったのだろうか。何を批判したのだろうか。今、客観的に検証する時が来たのではないだろうか。内村の影響下にある信徒は、これらの対立の中で、海老名や冨永を否定的に捉える意識が無意識的に働くかも知れない。しかし、彼らも信者であれば、再臨を否定しているわけではないであろう。再臨思想は、千年王国前再臨説だけではない、別の解釈もあるのだ、ということであれば、その批判には一理あるのではないだろうか。

内村の信仰を継承する人たちが、これらの課題にも応えてほしいと思う次第。内村の再臨運動は短期間で終わったが、運動は、再臨が実現するまで続けられるべきではないのだろうか。それにしても、近代日本のキリスト教史に、これらの課題を永遠に置いている内村鑑三という人物は、やはり忘れるわけにはいかないと思う。教文館から出ている日録を読んでいても、こういう人物がかつて日本にいた、またこういう時代がかつて、日本にあったということが何か信じられないような気がしている。そんなにも、現代は霊的には低調な時代なのだと思う。

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コメント

ウィキペディアが記すように、中田重治と内村鑑三は共に、千年王国前再臨説を信じていたのだろうか。中田は、その点では一致があったと見ているようである。彼の属する東洋宣教会の『焔の舌』(322号、1912年11月10日)には、中田が内村との提携について語る中に、「たゞ基督の千年王国前再臨について同信仰であるところから此一点のみを高調するために一致して居る耳であります」といい、内村も千年王国前再臨論者とみている。しかし、内村は、『聖書之研究』(211号、大正7年2月10日)で、「ヨハネ黙示録にあるようなキリストの千年王国をそのまま信じること」を否定している。であれば、内村は中田のいうように、千年王国前再臨論者かどうか、いくらか疑問が残るかも知れない。(『内村鑑三日録10』参照)

投稿: | 2009年8月23日 (日) 21時59分

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