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2009年8月17日 (月)

憲法の話

昭和40年代の初め、京都・百万遍にあった武藤一雄・京都大学教授の自宅を大学の後輩と二人で訪問した。その時、同氏の書いた憲法に関する小冊子をいただいた。そこには、日本国憲法が、何か律法のように神の与えたものといったような指摘があった。もちろん、一つの比喩であろうが、憲法の由来に何か神的なものを考えておられるようであった。

この憲法を、そのまま読めば、現実社会の中で、いろいろと問題が起きそうである。特に安全保障に関しては、憲法のみで、日米安全保障条約がなければ、国民としては不安で一日も生きた心地がしないのではないだろうか。ところが、この両者は単純に読めば、矛盾対立の関係にある。そして、現実は、憲法は日米安全保障条約を憲法違反として排除できないのである。そういう関係の中に、日本は置かれている。

この矛盾の解決のためであろうか、憲法改正の必要を説く人たちがいる。しかし、その人たちも、憲法の平和主義までなくそうとはしていない。だから、憲法改正の議論も封じようとする平和主義者たちは、対話できない原理主義者として、また批判されるかも知れないし、また、改正論者の中にも原理主義的な人もいるだろう。

ところで、憲法は改正されるべきなのだろうか。日本の被爆国としての立場を考えた時、憲法の平和主義をなくすわけにはいかないだろう。そして、日米同盟というものが同時並立している現状を考えた時、憲法はそのままにして、日米同盟の変化の方に目を移して、その中で新しい安全保障を考えてもいいかも知れない。それは日本の平和憲法が、安全保障に関しては現実的ではないという評価への理解をも示すものである。

ところで、内村鑑三の「初夢」という詩がある。彼は日露戦争の時の絶対非戦論で知られている。今、この戦後日本の歴史の中に、世俗の権力の歴史のど真ん中に、どこか別の世界から舞い降りてきたような絶対平和主義の憲法の存在を思う時、あの内村の初夢において描かれている日本の使命は、この憲法の働きなのかも知れないと思った。

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コメント

「初夢」は、明治40年1月10日刊行の『聖書之研究』83号に記載されたもの。

投稿: | 2009年8月21日 (金) 17時01分

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